鬼さんこちら |
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14 「なんで、そんなことしなくちゃならないんだよ」 順の声が、いつになく厳しいのを、ぼんやりと聞いていた。 「何もやましいところがないなら、別に構わないだろ。いいから、それぞれの荷物、全部ここに広げてみようぜ。それだけの話じゃねぇか」 「巧介、おまえ、おれたちの誰かが、こんなことをしたと思ってるのか?」 「思ってねぇよ。思いたくないから、だから、そうやって確認しようって言ってんだろ!」 「そんな、わざわざ荷物調べようって思うこと、その発想自体が、疑ってるってことじゃないか。おれは断る。絶対に、そんなの認めないから。こんなこと、おれたちの中の誰かが、するはずない。こんな、ひどいこと」 ひどいこと、という順のその言葉に、思わず擁は肩を震わせた。順の言うのは、写真のことだろう。擁の遭遇した、あの「手」のことは、他の誰にも、話していないのだから。そうやって、自分に言い聞かせる。 「順、少し冷静になれ。おまえらしくない」 「冷静でいられる方がおかしいだろ。辰巳は、巧介にそんな風に思われて、腹立たないのか」 「……さあ。おれは普段の素行が悪いから。それくらいしておかしくないと思われて当然かもしれないな」 「ふざけるなよ、辰巳!」 あの写真が見つかってから、順はずっと、そんな調子だった。正式には、写真の裏の言葉、だけれども。擁は会話に入らない。順はまるで、擁の存在そのものを忘れてしまったように、決してこちらを見ない。 「巧介は別に犯人探しをしたいわけじゃない。今、一番混乱しているのは誰なのか、おまえなら分かるだろ」 順とは正反対に、いつも通りに静かな辰巳のその言葉に、はっとしたように順は擁の方を見た。見ないままでいて欲しかった。今は、誰の視線も、怖かった。逃げるように、頭を冷やしていたタオルを広げて、目に被せるように額を覆う。 「おれたちの誰かじゃないって、それを擁に分からせてやりたい。そんな風に、ひとりでキレてる場合じゃないだろ」 「……ごめん、おれ」 順が、急に力の抜けた声で、呟くように謝る。いいよ、と答えてあげられたらいいのにと思いながら、それでも擁は何も言えずにいた。身体の奥にまだ震えが残っていて、喉からうまく声を出すことが出来なかった。それでも、しゅんとなった順の声に、目を覆っていたタオルは少しずらす。 彼は叱られた子どものような、泣くのを我慢しているようにも見えるそんな顔をしていた。 「誰も、悪くないんだろ」 その顔を見ると、自然と、そう口にしていた。 「おれは、この三人の、誰かがやったなんて思わない。だから、いいよ。そんなことしなくても」 ここにいるのは、擁にとって、かけがえのない友人たちだ。嘘つきなんて、いないはずだ。 自分に、そう言い聞かせる。なにひとつ疑ってはならない。ひとつ疑い出せば、もう、なにも信じられなくなる。 「……辰巳、写真」 「ん」 「あの写真、全部、燃やして。……ぜんぶ、なくなるまで」 「分かった」 誰の仕業か突き止めようと思うのなら、処分するべきではないのだろう。指紋だって残っているかもしれないし、それに、あの字。赤い、血で書いたような、あの文字。わざとなのだろう、左手で書いたような、大きさのそろわないバラバラな文字だったけれども、人間の筆跡は、たとえどんなに分からないように工夫して書いても、どうしても特徴が出てしまうのだと、これも辰巳に聞いたことがある。だから、それを調べれば、犯人が見つかったかもしれない。写真を、あんなところに並べた奴。そして、もしかしたら、かつて擁に、あんなことをした、あの手の持ち主。 また、あの感触を思い出してしまう。ずらしていたタオルでふたたび視界を隠した。 ベッドの上に転がって、身体を丸める。このまま眠って、朝になればいいのにと思う。そうしたら、少なくともこの雨は止んでいるだろう。明日になれば、きっと、今はまだ痛む右足も、少しは良くなっているはずだ。そうすれば、歩いて山を降りることも出来る。眠ろうとした。……それでも、目を閉じると、色々なことが思い浮かんでしまって、駄目だった。たくさんの、喋る目玉。暗闇の中で絡みついてきた、あの二本の腕。首筋にかかった、ぬるい息。写真。こちらを見た、自分自身の記憶にないはずの姿。 「擁、起きれるか」 頭上からそんな声が降ってくる。巧介の声だ。 ゆっくりと身体を起こす。落ち着いたその声に、どうやら、言い争いのようなものはもう終わったのだと分かる。タオルを取って、友人たちを見た。 「これ。ほんとは、明日の朝に食べようと思ってたんだけどな。腹減ってるだろ、食えよ」 そう言って、紙の皿を渡される。丸い形のパンがふたつ乗っていた。真ん中に切り込みが入っていて、マヨネーズで和えたツナが、はみ出しそうなほどたくさん詰められている。 「巧介が、作ってくれたの?」 「まぁな」 言いながら擁の寝ていたベッドに腰を下ろし、自分でもパンを齧る。床に座り込んだ順も、布張りの、破れの目立つソファに足を投げ出すように座っている辰巳も、同じものを食べていた。巧介が荷物の中から出してきて、用意してくれたのだろう。 「おいしい」 一口頬張ると、それまで忘れていた空腹感が、急に蘇ってくる。貪るように一気に食べて、隣の巧介にそう伝えると、彼は得意気に、にやりと笑った。 「夜は、やっぱ、肉焼くかな。ガスは来てないけど、玄関の、あのちょっと屋根のあるところで、適当に燃えそうなもん集めたら、なんか出来そうだし」 「……うん」 本来の予定とは随分変わってしまったけれど、それでも、巧介のおかげで、ようやく、その片鱗を味わえた気がした。ほんとうなら、もっと、楽しい夏休みを過ごすはずだったのに。 「擁、さっき、ごめん」 「順」 パンを食べ終えると、それまで迷っていたのを決意したように、順がそんなことを言ってきた。 「いいよ、もう。おれ、大丈夫だし」 「そうじゃない。……さっきの、あの、ふたりだけでした話だよ」 てっきり、写真を見つけた、その後のことだと思っていた。しかし、そうではないらしい。あの、擁が勝手に感情的になってしまった、あの話について、らしかった。 「おれ、時々、無神経だって言われて。……彼女にもたまに言われる」 あのことについて、順が謝る必要なんてない。何を言おうとしているのか、分からなかった。 「よく、考えさせて。……簡単に、止めようなんて、言うなよ。それで辛いのは、擁だろ」 どうしてそういう考えになるのか、分からなかった。どこまでお人よしなんだろうと、憎らしいような気持ちになる。もうおまえなんていらないと、そう告げたにも等しいのに。 「巧介、パン、ありがと。……おれ、ちょっと、また出てみるから。擁のこと頼むね」 それだけ言って、順はまた部屋を出ていこうとする。巧介がそれを止めようとした。 「何言ってんだよ、おまえ」 「やったのは、この三人の誰かじゃない。だとしたら、他に、いるんだろ。ここに」 「おまえ、ひとりでそいつを探しに行くつもりかよ。相手が何のつもりか分からないんだぞ」 「だから、おれひとりで行ってみる。巧介と辰巳がいれば、擁も安心だろうし」 「え、……順」 外に行こうとした順に、慌てて声をかける。すると彼は、安心させるように笑った。 「大丈夫だよ、擁。危ない目に遭いそうになったら、すぐ逃げるし。疲れてるだろ、ゆっくり休んでいればいい」 そうしてこちらが何か言い返す間もなく、するりとすり抜けるように、部屋を出て行ってしまった。 辰巳と巧介が、なにも言わずに、ただ目線だけを合わせたのが、何故だかとても、気になった。
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