index > novel > 時人の鐘 >  3章 『マボロシカガミ/2』


 
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「おれに、返す?」
 悠灯の言葉が理解できずに、空夜は友人の顔を見た。
 そうだよ、と言って、あまり大事なものを扱うとはいえない手つきで、悠灯は空夜にその時計を放り投げた。
 投げられた以上は落とすわけにもいかず、空夜はそれを受け取る。
 予言者はそれを見て、いつも通りの皮肉気な表情に戻り、満足そうに一度頷いた。
「それは、きみのものだ。きみがこの世界に生まれたその瞬間、確かにきみの手にあった。だからぼくは、取り返した。どうしてもきみに返したかった。……その子どもの手からではなく、ぼくの手から」
「だからって、盗むことないだろう」
 急にそんなことを言われても、空夜には状況がまったく分からない。とりあえず、友人の人としてあまり良からぬ行いを非難しておく。
「――それはきみから奪われたものだ。最初に奪ったのはそいつらじゃないか」
 空夜の叱責に、そいつら、と、悠灯は時人を指差した。
 時人は気まずそうな顔をしてうつむき続けている。琥珀が少年をなだめるように、その頭を撫でてやっているのを見て、空夜は悠灯に向き直る。
「それが分からない。説明するつもりがあるなら、最初から説明しろ」
 叱ったつもりだったが、当の悠灯はそれをどうとも思っている様子はない。それに対しての返事はなく、彼は別の人物に視線をずらした。その目の先にいるのは――その身に常人の数倍もの長さの過去を背負う男だった。
「ずっと前、きみが生まれてすぐの話だ。ぼくはまだこの世界に居なかった。だから、その時のことは知らない。でも、ここには――昔のことなら、誰よりも詳しい奴がいるじゃないか」
 話を向けられた神父は、可笑しいことを言われた、とばかりに微笑む。
「……わたしに、あなたの窃盗の弁護をさせるおつもりですか? 予言者殿」
「盗んだことは謝る。だけど理由はあった。それを空夜に分かってもらうように説明できるのは、おまえぐらいだ。伊達に長生きしてないだろう」
「相変わらず、わたしはあなたに嫌われているようだ」
「仕方がないと思え。生まれてこの方、未来のどの瞬間にもおまえは同じ位置にいた。……今でも、ぼくが知る未来においても、おまえは同じ位置に居続ける。同じ顔をしてただここに居る。そんな不気味な奴を好きになれるか」
「……ごもっともなお話ではありますね」
 やれやれ、と息をついて、琥珀。呆れたようなその仕草を見せてもなお、彼の微笑みは崩されない。
「さて。どこから話せばいいのやら、検討がつかないな。……その小さな銀時計、それが空夜のものであったと、その話をすればいいのでしょうか?」
 頷く予言者。もう一度、やれやれ、と呟いてから、琥珀は語り始めた。
「――確かに、それはきみが持って生まれたものだと聞いているよ、空夜。わたしがその瞬間を見たわけではないけれども、あの時、きみたちの郷の人間がそう騒いでいたからね」
 きみたちの郷。琥珀は空夜に微笑みを向けて、そう言った。空夜の、そして時人の生まれたあの郷のことだろう。
「『時人』を擁する一族の長たちが、生まれたばかりの赤ん坊を連れてこの街を訪れた。赤ん坊はその手に小さな銀時計を握り締めていた。……彼らは混乱した様子で、王に詰め寄った。『時人』が生まれたはずだが、その子どもの眼は青いと、喚きながら」
 銀の瞳。銀の髪。銀の色。それが、「時人」の証だ。
 この世界に、「時人」以外にその色を持つ者はいない。
「髪と瞳の色は銀でなければ認められない。銀時計を持って生まれた『時人』であるはずのその子どもは、一片の銀色をも所有してはいなかった。……困惑した王は、わたしと、当時お気に入りだった占い師を呼び寄せた。そう、あなたの師匠だった方ですよ、予言者殿」
 話を向けられた悠灯は、不機嫌そうに眉を寄せた。彼が自らの師匠について話すのを、空夜はあまり耳にしていない。おそらく、聞いて面白いような種類の話ではないのだろう。予言者は琥珀の方には目もやらず、空夜だけを真っ直ぐに見て、口を開く。 
「その話なら知っている。お師匠は空夜を――その赤ん坊を『できそこない』だと言って、銀時計を取り上げるよう指示したんだ。それは『時人』ではないと。どこかでその銀時計を奪ってきた、いつか大きな綻びをもたらすために生まれてきた『できそこない』だと」
 その話は、何度も聞いていた。自分が「できそこない」だと、「綻びをもたらす」と言われてきたことは、何度も聞いてきた。
 何度も聞いてきた。自分は、「時人」のできそこないであると。
 街や城の人間すべての人間が、それを知っているわけではない。だが、誰もそれを知らないわけではない。ただ、気が付いたときには、空夜はそれを耳にしていた。自分は、「時人」と呼ばれる、特殊な力を持つものの「できそこない」であると。
 しかしそれが一体、なにを基準として決められたことなのかを尋ねたことは無かった。聞いたところでその占い師の言葉がくつがえるわけではないだろうし、自分がそれの欠陥品であるのだという人々の認識は変わらないと、そう思って何も尋ねずにいた、それは。
 髪と瞳の色。そしてこの小さな時計の色との、不一致だと、神父が言った。
 銀時計の持ち主は、銀色でなければならない。それが、「時人」でなければならない。
 投げ渡された銀時計に目を落とす。小さな、ほんとうに小さな、赤ん坊の手のひらにも包める世界の逆算時計。「時人」の証。
(「これに、見覚えはありませんか?」)
 そう時人に聞かれたことを、思い出す。あの時も、そしてこれが自分のものだと告げられた今も、その問いへの答えは変わらない。――見覚えは、ない。実感も、また、ない。
 話に聞くとおりに、生まれていたときに自分がそうしていたように、銀時計を握り締めてみる。
 それは冷たく、手のひらの中で世界の残り時間を刻み続ける。小さな時計は、悠灯が言うように「ほんとうの持ち主」の元に還れたことを、それほど喜んではいないように思えた。誰の手の中にあろうと、ただ、残りの時間を逆さに刻み続ける、それだけを全うしようとしているような、そんな冷たい銀だった。
 予言者の言葉を、琥珀が引き継ぐ。
「わたしは何も言わずに、それを聞いた。当時、その占い師は城内でもかなりの力を持っていた方だったから、反論する気はなかった。……それにこんなことを言ってしまうと、時人は気分を害されるかもしれませんが、お許しください。わたしには、その子どもが『時人』であろうと無かろうと、どちらでもよかったのです」
「どうして? 時計を守り、『時人』の手助けをするのがあなたの役目ではなかったのですか!」
「その役目を嫌っていたわけではありませんが――わたしにとっては、どちらでもいいことだったのです。その子どもが『時人』なら、いずれ時計を巻き戻すだろうと思った。そうでないのなら、破滅でもなんでも導けばいいと思った。それだけです。そう思って、黙って見ているつもりだったのですが」
 そこで琥珀は言葉を切り、空夜を見た。
 その目は、空夜を通してその光景を見ているかのように、懐かしむように細められる。
「……占い師に言われるままに、彼らが固く手を握り締めていたその赤ん坊から、銀時計を取り上げようとした、その時。それまで呼吸をしているのかどうかも怪しいほど静かだった赤ん坊は、火が付いたように泣き出した。銀時計を握った小さな手を振り回して、それを奪われるものかと、必死に抵抗するように泣き出したんだ。――それを見ていたら、つい」
 間を取るように、琥珀は一旦そこで言葉を切る。
 こちらの表情をうかがうように微笑む神父。空夜は先を促した。
「……つい?」
「口を挟んでしまった。この赤ん坊がその銀時計を持って生まれたのには、必ず意味があると。だから――ああそう、あなたの師匠は極端に血の昇りやすいお方でね、予言者殿。そんな『できそこない』はすぐにでも処分してしまえ、とまで口走る始末だったのですよ――わたしはつい、それを取り下げるようにと口を挟んでしまいました」
 その辺りの話は、以前にも琥珀から聞かされたような記憶があった。占い師により処断されそうになった、空夜。それを止めた琥珀。「できそこない」として殺さようとしていた赤ん坊の命を、救った神父。もしかしたら、琥珀本人からではなく、誰か他の人間から、だったかもしれないが。その時から、ずっと聞きたいと思っていた。ただ、その機会を得られずにいた。
 その理由を、尋ねる時がきた。
「どうしてだ?」
「どうして、というのは?」
「その占い師に楯突くのは避けたかったんだろう。それに、おまえにとって、その赤ん坊――おれ、になるのか――が『時人』であろうとなんであろうと、どうでも良かったんじゃないのか」
「そのはずだった。自分でもそのつもりだった。……だから、どうしてそんな事を言ってしまったのか、今でもよく分からない。ただね。その赤ん坊の母親が、すぐに亡くなっていたことを聞いていたのも関係あったかもしれない。父親もいないと聞いていた。……そして郷の人間は皆、占い師の言葉を信じてきみを『できそこない』だと決めた。そんな中できみは、手のひらの中の小さな時計、それを奪おうとする手に逆らって泣いていた。まるで、自分の味方が他にいないことを知っているかのように、それを手放そうとはしなかった。この赤ん坊は、ひとりきりなのだと思ってしまったんだろう、多分。死ぬことのない、どんなに誰かと親しくなったところで、いつかはひとりきりにならざるを得ない、このわたしの身と重ねたりしてしまったのかもしれない。もう、覚えていないよ」
 自嘲気味にそう語り、琥珀は教会の時計を見上げた。彼はこの、世界の時を刻む時計とともに存在する。死なない男。その琥珀が自分を、ひとりきりだ、などと表現するのを聞いたのは初めてのことだった。
「それで、どうなったのですか」
 時人が尋ねる。先を急かすように琥珀に言うその姿は、まるで絵本の続きをせがむ子どもそのものだった。どうやら、これは時人も知らぬ話であったらしい。
「わたしが敵でないと思ってくれたのか、この腕に受け取った途端、赤ん坊は泣き止み、銀時計を取り上げても嫌がることはありませんでした。その様子を見て、国王陛下は、わたしを信じると仰ったのです。その子どもの生には、必ず意味があると。……『時人』の郷の人々は、その銀時計を受け取り、この街を去りました。数年後に生まれることになる、銀の髪、銀の瞳の、彼らにとって本物の『時人』――あなたに渡すために」
 それを聞いて、時人が息を呑むのが分かる。
「……その後、赤ん坊をこの教会の孤児院に引き取り、保護することにしました。わたしが干渉したのは、その辺りまでです。彼は立派に成人し、今ここに居る。破滅も綻びも、もたらすこともなく――それにしても、あの占い師には参りましたが」
 占い師。空夜が肩書き程度しか知らないその人物のことを思い出しているのか、琥珀は楽しそうに付け加えた。
「それが余程面白くなかったのか、それ以来、わたしが悪魔の子を引き取ったと、あちらこちらに吹聴する始末。あの方の占い師としての技量も疑問だったが、人間性もあまり褒められたものではなかったな――ああ、予言者殿、申し訳ありません。彼はあなたの師匠でしたね」
「構わない。あの人がぼくにお師匠として教えてくれたことなんて、何もないんだ。それに結局は、ぼくがあの人を城から追い出したようなものだ。それを残念だとも勿体ないとも思っていない。おまえもそうだろう」
 悠灯のその言葉には何も言わず、琥珀はただ微笑みをもって、それに返した。
「……そんなところでしょうか、予言者殿」
 それは占い師についてのことではなく、銀時計と空夜についての説明のことのようだった。
 予言者は、ああ、とそれに答えて、そのままきびすを返した。
「じゃあね、空夜。ぼくはもう行く。その時計は、確かに持ち主に返したからね」
「――悠灯?」
「これから話されることは聞きたくない。だから行くよ。……空夜、またあとで」
 言って予言者は、振り返ることなく教会を去っていく。
 彼が扉を開けるのと同時に、外からは夕焼けに赤く染まった光が差し入って来る。その光の中に、悠灯を見て。
 空夜はふいに、友人がその茜色に溶け消えるような、瞬間、その姿が薄れ消えたような、奇妙な感覚を抱いた。
(……なんだ?)
 一度、瞬きをする。再び目を開けたとき、悠灯は入り口で振り返り、空夜のほうを見て笑みを浮かべていた。
 まるで空夜がなにを見たのか、それを知っていると言いたいような、そんな訳知り顔で微笑む友人。
 朱い光に照らされたその笑顔は、触れようとすればその指が擦り抜けそうな、まるで実体のない幻かなにかのように、儚く霞んで見えた。

≪モドル ■ ススム≫


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