index > novel > 時人の鐘 >  3章 『マボロシカガミ/1』


 3. マボロシカガミ
= 1 =

 この世界を作った神には、ふたりの子どもがいました。
 神の仕事は、世界を作ること。ひとつではなく、出来うる限り多くの世界を作り続けること。
 かわいいふたりの子どもを残して、神は新しい世界を作るために旅に出ました。
 ひとつの世界を、子どもたちに残して、旅に出ました。

 
 時人に、避けられている。
 どうも最近そんな気がして、空夜は落ち着かない。
 なにか嫌われるようなことをしてしまったのか、考えてはみるものの思いつかない。
 最近では、ずっと教会のほうに入り浸っているようで、あまり城内に姿を見ることもない。
 迎えに行こうと思って教会まで行ったところで、ついさっき別の者に送らせたよ、と琥珀に言われるばかり。
 避けられている。
 顔を合わせることすら避けられている、そんな気がする。
「気のせいじゃないの」
 相談を持ちかけた友人には、あっさりとそう返される始末。
「あの子だって子どもだ。きみみたいな仏頂面と始終一緒にいるんじゃ、疲れるんじゃないのかな」
「そういう問題じゃない」
「疲れるんだよ。言えない秘密を抱えてるような相手と一緒にいるのは」
「……なんだって?」
 友人である予言者は、よく見せる余裕を感じさせる表情で、得意そうに笑った。
「ぼくは違うけれどね」
 悠灯は近頃、時間を持て余しているようだった。
 金花王子がいなくなったため、だ。王子の話し相手というのが彼の役職のひとつでもあった。
 いまでは、宮廷から呼び出しがかからない限りは何もすることもないらしく、気が付いたら空夜の傍に来ている。
 空夜も城内では、何をしなければならないという立場にない。いつもならば教会の、屋根の修理をしたり傾いた扉を直したりしている。教会は時計を守るためにある場所だ。永遠に動きを止めてはならない時計のある場所だが、時計と違い、教会の建物は人の造ったものだ。だから、そうして手入れをしなければならない。空夜は幼い頃から、神父にその仕事を任されていた。その手先を使う作業が好きだった。けれども、今は時人のことがあるので、城にいなくてはならない。けれども肝心の時人に、避けられている。
「……おまえが苦手なんじゃないのか」
「ぼくは空夜の友達だから、嫌われてはいないはずだけど?」
「……そういうところが苦手なんじゃないのか?」
 ため息ひとつ。
 悠灯が何をしに来るかというと、いつもの通り「話聞かせて、変な話」と頼みに来るばかり。
 どうしてそこまで空夜の作り話がお気に入りなのか分からない。悠灯にはすべての未来が見えているはずなのに。
 彼にとっての世界は、予め綿密に記述された脚本をもとに、演じられる世界。悠灯はそのすべての筋書きを理解してしまっている身だ。
 内容が分かっている上につまらない作り話を聞きたがる悠灯の真意が、分からない。
「まぁでも、すぐに、嫌でもきみに頼らなくちゃならなくなるから、あの子どもは」
「――『時人』の仕事で?」
「それもあるけど。もっとその前に。ほら――」
 長椅子にだらしなく寝そべっていた予言者が、その姿勢のままで、部屋の扉を指差す。
 それとほぼ同時に、扉が叩かれる音。
 得意そうに、悠灯は顔いっぱいで笑う。
「ね?」


 扉を開けたその先にいたのは、友人の言う通り、時人だった。
 空夜の顔を見上げると、小さい、はっきりとは聞き取れない声で、なにか挨拶らしき言葉を口にする。
 その視線は、やはり、目を合わせることを避けているように見えた。
「……時人」
 名前を呼ぶ空夜に、はい、と相変わらず小さく答えて、少年は銀色の目をおずおずと持ち上げる。
「ごめんなさい、空夜。ごめんなさい。でも、頼れる人が、いないんです。他に誰も、思いつかないんです」
 それまでぽつりぽつりと、少しずつ零すように言葉を発していた時人が、謝罪の言葉に続けて、早口でそうまくし立てる。
 空夜には訳が分からない。
 見れば、時人はその瞳いっぱいに涙を浮かべている。それはまるで水を注がれた銀色の杯のようで、少しでも傾ければ零れ落ちそうに、溢れそうに見えた。これまで、この少年が涙を堪えているような顔をするのを、何度も見てきた。
 だが、これはまた、今までとは違う。これまで見せてきた時人のそういう表情は、自分の内側に起因する何かに抵抗するような、自分の中にある悲しみや、そういう感情を抑えるような、どこか他者を拒絶するようなものだった。どうかしたか、とその目を覗き込んだところで、何でもありません、と短く答えられるとともに、鏡のように写された自分の顔が見えるだけだった。
 だが、今は、違う。今の時人は、内側からではなく、何か外側からの衝撃を与えられて、それに驚き、苦しんでいるように見えた。何者かに傷つけられたかのように、見えた。
「こんなこと、勝手なことだとは分かっています。でも、助けてください、空夜」
 動揺して、一向に落ち着く気配のない時人をせめて宥めようと、空夜は身を屈め、その肩に両手を乗せる。
 どうしていいのか分からない、と繰り返して、時人は空夜を見上げる。潤んだその瞳は、もう逸らされることはなかった。
 空夜もどうしたらいいのか分からない。落ち着かせようにも、どう言えばいいのか分からなかった。どうやら、何かがあってそれで空夜に助けを求めに来たのだということは分かったが、それにしても、まずどうやって話を聞ける状態にまで持っていったらいいのか分からなかった。
「あのさ」
 そこに、呆れたような声が割って入る。
「とにかく、入り口でそんなことやってないで、中に入ったら?」
 それはどうやらすべてを知っているらしい予言者の、まことに的確な意見だった。


「――時計が盗まれた?」
「盗まれたと決まったわけでは、ないんです。……ただ、失くしてしまったんです。どこにも、ないんです」
 落ち着かない時人の話を一通り聞き終わる。要領を得ないその話をまとめると、つまりはそういうことだった。
 ――時人の持つ、あの小さな銀時計が無くなったのだという。
 あの時計は時人にとって、とても大事なものだと、前に聞いた。常に肌身離さず身につけて、大切に、持っていたはずなのに。
 今朝方、目を覚ましたときには、銀時計は無くなっていたのだという。
「……間抜けな話だね」
「悠灯」
 空夜の咎める声に、悠灯は肩をすくめるだけだった。謝罪の言葉はなく、彼は時人に尋ねる。
「それって、そんなに必要なものなの? 『時人』としての役目に関わる?」
「いえ、あれはあくまで分かりやすく残り時間を示すためのものです。わたしはそもそもが時計のような存在ですから、あれがなくても、感覚としてどれだけの時間が残っているのか、それは分かります。
 ですが、あれは――とても大切な、ものなんです」
「ふぅん」
 どこか含みのある声で、悠灯はそう相槌を打った。
 声だけでなく、予言者のその視線も、何か言いたそうに時人を見ている。
 その視線から逃れようとするように、時人はうつむいた。もう一度、繰り返す。
「大切、なんです」
 それに対して、予言者はどうでもいいように、ふぅん、と同じ相槌を打つ。
 そんな友人の顔を見て、ふと、空夜は思いつく。
「悠灯、おまえ、分かるか?」
「何が?」
「その時計が、どこにあるか。おまえなら分かるんじゃないか?」
 すべてを見通しているはずの彼になら、それも、容易いことではないのかと、そう思った。
 だいたい、城の人間はこういう事態が生じたときにこそ、予言者としての悠灯を頼りにしている。それならば、この子どもの失くしてしまった大切なものも、きっと見つけてやれるのではないか。そう思って、尋ねたのだが。
 悠灯は首を振り、否定する。
「ぼくは占い師じゃない。お師匠はそう呼ばれる人だったけれどね。ぼくが知っているのは未来だけだ。
 大丈夫、時計は戻るよ。――持つべきほんとうの持ち主のもとに」
「……!」
 悠灯のその言葉に、時人が顔をあげた。その表情を見て、悠灯は、してやったり、というように笑う。
「だから、心配いらないよ、時人」
「ほんとう、ですね?」
「ああ。時計は持ち主に還る。きみはもっと、別のことに心を砕くといい」
 時人はそれを聞いて、少しだけ安心したように見えた。
「――すいません」
「きみが謝らなくてはならないのは、ぼくに対してではないだろう」
「……それでも、です」
「謝られたところで、ぼくが許すとでも?」
「それでもです!」
 普段とは違い、きつく、固い意志を持って発される言葉。
 先ほどまでの、うろたえた子どもではなく。
 それは、『時人』としての責任と、自覚のもとでの謝罪だった。
「ほんとうに、あの時計は、持ち主のもとに戻るのですね?」
 最後に、もう一度だけ確認したい、と言いたげに、時人。
 悠灯は頷く。
「そう。きみがずっと、罪悪感と一緒に抱えていたものは、ようやく、元の持ち主へと返される。あとは、自分でどうにかするんだね」
 それを聞き、時人は姿勢を正した。うつむかせていた顔をあげ、まっすぐに悠灯を見る。
「……失礼します、予言者様。空夜、取り乱してしまってすいませんでした」
「いや、それは構わないが――」
 空夜が全部言い終わるのも待たず、時人は逃げ出すように部屋を出て行った。退出の前には、小さく一礼することも忘れず。
 やはり、避けられているのかもしれない。そんな風に思う。
 部屋を出て行く小さな背中は、避けようとしていたのに、問題が起こればその人を頼らずにはいられない、そんな自分を責めているようにも見えた。
 問題。大切なものが無くなったという、問題。
 あの銀時計のことを思い出す。『ほんとうの持ち主』。悠灯のあの言葉は、銀時計が時人以外の、誰か別の人物のものであることを示唆していた。
 しかしそれでも、時人は言った。あれは大切なものなのだ、と。
 相変わらず自分だけが話に加われないまま、友人たちはそれぞれ悩んだり、苦しんだり、悲しんだりしている。
 空夜自身には何の力もない。そういう風に生まれついた可能性はあったのかもしれないが、実際のところ、自分に出来ることはなにもない。
 彼らの、特別な存在である彼らの苦悩は内心で思い図る他にない。自分には、何もない。
 空夜は何も持っていない。
 だからこそ、その心に抱えている何かを分け与えてくれればいいと、いつも思っていた。
 それで彼らが少しでも楽になるのなら、いくらでも受け入れてやりたかった。
 何も入っていない器だからこそ、そこに多くのものを受け入れたいと思っていた。
 だから。
 空夜は友人の名前を呼んだ。 
「――悠灯」
「なに?」
 彼はまるで何事もなかったかのように、先ほどと同じ姿勢で長椅子に寝そべっていた。
 悠灯は顔だけを上げて、空夜を見る。
「返してやるんだ」
「……なんのこと?」
 自信は無かった。ただ、悠灯が時人に向けている、得体の知れない敵意のようなものと、はっきりと『時計は見つかる』と言った口調が、妙に気になった。この友人が、この好き嫌いの激しい友人が、嫌いな相手に対して、その心配の種を取り払ってやるような、その言い草が気になっていた。
 だがその考えは、それを聞いた悠灯の顔を見て、確信へと変わる。
 とぼけるような声でそう尋ね返してきた予言者の顔は、どこか、秘密を見抜いて貰って嬉しがっているようにも見えた。
「あの銀時計を返すんだ、悠灯」
「なんだ」
 バレちゃってたのか、と悠灯はわざとらしいほど意外そうに肩をすくめる。
「おまえがどうしてそんなことをしたのかは知らない。……だが、子どもにあんな顔をさせるのは感心しない。返してやってくれ、悠灯」
「どうして分かったの?」
「長い付き合いだからな。おまえが嘘つきなことも、よく知っている」
「酷いな」
「……嘘をつくときは、必ず理由があることも知っている。どうして、そんなことをしたんだ?」
「――どうしてだろう。どうしてかな……悔しかったのかな。きみが取られちゃうのが」
 また、そんなことを言う。
 悠灯がそういうことを言ったとき、空夜はそれについては口を挟まないことに決めている。言ったほうも、何かそれについての言葉が欲しかったわけではないのか、特に気にする様子もなく、悠灯は続けた。
「何か、ぼくに出来ることがないかなって思った。
 思って、考えてみたら、そんなことしかなかった。たぶん、それだけだよ」
「よく分からない」
「詳しいことは、あとで説明して貰うから。……分かったよ、返すよ。返しに行く。きみも一緒にね」
 おいで、と言いながら、悠灯は大儀そうに長椅子から身を起こした。立ち上がり、空夜に手を差し伸べる。
「行こう。――あの子どもは、教会に行った」


「……このお話を、ご存知でしたか、時人」
 教会内は相変わらずの静寂に包まれていた。扉を開けると同時に、カツン、と時計の針が時を刻む固い音が聞こえる。
 それに続いて耳に入ったのは、なにかを語って聞かせていたらしい琥珀の声だった。
「以前、どこかで聞いたような覚えがあります。……昔話ですね?」
 神父に続いて、少年の声が応える。時人だ。
「そうです。神は、ふたりの子どもを残して行った。そうして子どもたちが寂しくないようにと与えられたのが、この、今わたしたちが暮らしている世界だった。……というお話です。その世界が、どんな風なかたちで与えられたのかは、知っていますか?」
「どんなかたちで? いいえ、それは知りません」
「本、なのですよ」
「本?」
「そう。一冊の書物です。最初はすべてのページが白紙だった。何も書かれてはいなかった。残されていった子どもたちは、そこに創造される世界を眺めていたのですよ。それが、わたしが聞いた話です」
 それは、よく聞く昔話のようだった。空夜も幼いころ、琥珀から、ああやって聞かされたような記憶がある。
「だから、この世界はゼンマイ仕掛けなのです。時計というゼンマイを巻き戻さなければ、止まる世界。……退屈しのぎに相応しい、子どもの玩具だ」
「それは、お話でしょう?」
「ええ、そうですよ」
 時人が言ったのと同じ言葉を、昔、空夜も尋ねた気がする。あの時も、琥珀は今のように答えただろうか。
 空夜がそんなことを思い出していると、その隣を、予言者が擦り抜けて行く。
「邪魔するぞ、琥珀」
 愛想も笑顔も伴わない、固い声で悠灯は自らの来訪を告げた。それを受けた琥珀は、おや、と小さく呟く。続けて、神父は微笑みで歓迎の意を表した。
 驚いているのは、時人だった。琥珀に向けていた銀の瞳を、少し険しくして予言者に向ける。敵意とまではいかないが、警戒している目だ。
 先ほどのやりとりを思い起こすと、仕方のない反応なのかもしれない。そのうえ、どう考えても悪いのは悠灯だ。
 まるで睨みあうように対峙する二人の間に割って入り、空夜は間を取り持とうと試みる。
「時人、琥珀。話しているところをすまない。だが、悠灯が――」
「これを返そうと思って」
 言うなり、悠灯は懐から、あの小さな銀時計を取り出した。
 まぎれもない、時人の持っていたあの時計だ。
 それを見て、時人は即座に声を上げる。
「それは……!」
「そう、きみが持っていたものだ」
 どこか憮然とした声で、悠灯は頷く。その声には一片の罪の意識もなさそうだった。実際ないのだろうけれども。
 告げる言葉は、謝罪というよりもむしろ悪意に満ちていた。
「ぼくが奪った」
「……そういう、ことなんだ。こいつは謝らないだろうから、おれが代わりに謝る。ごめんな、時人」
「空夜。 ……予言者様」
 空夜の謝罪の言葉に、時人は何故か、少しだけ悲しそうな顔をした。
 琥珀も、まるで何もかもを最初から知っていたかのように、表情ひとつ変えない。ただ穏やかに、その場を見守っている。彼の場合はただ単に、これが驚くほどのことではないからかもしれない。
 時人は怒りも呆れも感じさせない落ち着いた声で、しかし何かを押し殺したような声で、予言者に向けて言った。
「……あなたでしたか」
「勘付いてはいただろう、きみは随分と頭の良さそうな子どもだからな。
 ぼくは約束は守るよ。時計を返す。――ただ、どうもぼくは信用がないみたいだから、こうして、きみの前でその瞬間を見せようと思ってね」
 悠灯は銀時計を掲げる。天窓から差し込む淡い光の筋に照らそうとするように、それを見上げて予言者は続けた。
「これは確かに、きみが持っていた時計だ」
 銀時計を見上げていた眼差しを、そのまま時人に移し、悠灯は笑みを浮かべた。皮肉気な口調には似つかわしくない、それはどこか穏やかで静かな、琥珀のような微笑だった。
「けれど、この時計は、きみが持って生まれたものではなかった。時人、きみはこれを、その持ち主から奪ったんだ」
 悠灯は時人を見たまま、そう告げる。銀の瞳の少年は、予言者の言葉と視線から逃れようとするように、目をそらしてうつむいた。
 悠灯は追撃の手を緩めることなく、更に続ける。
「さあ、返そう。ほんとうの、この時計の持ち主に。『時人』の証として、これを手のひらに握って生まれてきた、その主に」
 そう言って悠灯は、小さな銀時計を差し出した。
 時人にではなく。
 予言者はその銀時計を、空夜に向けて差し出した。
「――きみに返そう、空夜」

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