index > novel > 時人の鐘 >  2章 『散 花 咲/3』


 
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 つないだ手を離すことなく、そのまま空夜と時人は城へと街道を歩く。
 時人は神父の話を聞いてから、極端に口数が減っていた。話の内容を考えると、仕方がないのかもしれない。空夜はそう思う。
 空夜自身はもうずっと昔に、死ぬことも老いることもないという琥珀の話を聞いていた。とんでもない話だとは思うが、それでも、今はもう、それが本当のことなのだということが分かっている。彼のすべてが、その話が事実であることを証明している。
 記憶のなかにある琥珀の微笑は、今も同じだ。
 死なない男など、とんでもない話だとは思う。だがそれを言うのなら、未来を知る予言者も同じだろう。それに、世界に生き延びる時間を与えるための「時人」も。
 不思議なものばかりだ。
 流れる時間こそが世界であり、世界は時間によってつくられている。
 そして、その時間を動かすのが、時計。止めるのも、同じ時計。
 予言者や死なない男を、その時間である世界に愛でられた奇跡だという者は多い。
 時間が流れていること、世界が在ることが奇跡だという者は少ない。
「――時人」
 うつむき隣を歩く少年に、声をかける。足は止めない。
「おまえも、鐘を鳴らすんだな」
 琥珀の話を思い出して、そう声をかける。
 数百年に一度しか現れない、「時人」。
 時計を巻き戻し、新しい時間を刻み始めたことを知らせるために、「時人」は鐘を鳴らす。
 世界の新しいはじまりの鐘。
 新しい時間が流れはじめた合図の鐘。
 世界が生き延びた喜びにうたう鐘の音。
 少年は答えずに、ただ、黙ったままで頷いた。
「……楽しみだな」
 死なない男が三度も聞いたという、鐘の音。
「おまえが鐘を鳴らすのを聞くのが、楽しみだ」
「……空夜」
 時人が顔をあげる。
「『時人』は何百年に一度しか生まれないんだろう? だったらこうして、自分が生きているうちにその瞬間に立ち会えるなんて、運のいい話じゃないか。あいつのように、何度も聞けるわけでもないし。おれは、おまえに会えて嬉しい。だから、その手伝いが出来るのも、嬉しい」
 琥珀のことをずっと考えていたのだろう時人は、空夜のその言葉に自分の仕事についての色々なことを思い出したらしい。ぼんやりとしていた瞳が一度ゆっくりと瞬きして、空夜を見る。
「そのこと、なんですけれど」
 言いよどむ時人。もう、この少年のこんな反応にも慣れた。考えられることはひとつ。
 空夜には言いにくいことを言わなければならないのだろう。
「……いい」
「え?」
「いいよ、時人。無理に言わなくてもいい。おれが知らなくてもいいことなら、そのまま知らせずにいればいい。知っておかなくてはいけないことなら、そのうち、気が向いたら言ってくれればいい。急いで知らせなくてもいいことなら、おれは構わないよ」
「どうして、そんな風に言えるのですか」
「悠灯はなにも言わない。琥珀もなにも言わない。時人、おまえも言いにくそうな顔をする。
 三人の人間が、そうしたほうがいいと思っておれに何も言わないんだ。だから、それを信じて、任せる。……琥珀は知っていると思っていいんだろ?」
「はい。すべて」
「だったら、おまえたちを信じるよ。話す必要があることなら、時期がくれば教えてくれるだろう? おれは、おまえの仕事を手伝う。出来ることがあるのなら、する。この話は、これでおしまいだ。いいな、時人。……そんな顔をして欲しくないんだ」
 時人は空夜に手を引かれるままに、何も言わずに聞いていた。
 街道の両端には、定間隔で明かりが置かれている。教会へと――時計へと――続き、街の外の世界と城とを結ぶまっすぐな線である街道。時計が針を止めてはならないように、教会の門が閉ざされないように、その灯は闇を照らし続ける。ふたりの歩いている道を、ただ淡く照らしている。
「……ありがとうございます」
 少し遅れてついてくる、時人の声。
 そう言っていいものか迷っているような、しかしどこか安心しているようなその声に、空夜は振り向く。少年の銀の瞳が明かりを映し、かすかにきらめいた。
「そう言えば」
 話題を変えようとしたのか、時人が思い出したように口にする。笑顔は消され、真面目そうな顔つきをつくる時人。神父の真っ白な紙に似たあの表情は、潜められてしまった。
「さきほど予言者様と一緒にいたのが、王子殿下なのですね」
「ああ、金花王子だ」
「わたしと同じ年だと、お聞きしました。その――お身体の具合が、あまり良くないと」
「……そうだな。王子は、時人のことを、褒めていたよ」
 すごいすごい、と繰り返していた王子を思い出して空夜がそう言うと、時人は不思議そうな顔をした。
「わたしが?」
「大切な役目を任されていて、凄いと。王子は自分と同じだけしか生きていない『時人』が――その、この言い方はあまり好きではないな――『世界を救う』英雄なんだと知って、本当に感心したらしい」
 空夜のその言葉に、時人は憮然とした声で返してくる。
「……わたしが『時人』だったのは偶然です。そういう問題でいうなら、国王の息子である王子殿下は、もっと凄いような気がします」
「――それに、王子は身体が弱い」
 妙に子どもらしいその返答に苦笑しながら、空夜。
「ついこの間も風邪を引いて――今度こそはもう駄目かもしれないと、皆が諦めかけた。本当に、今ああやって走り回ったり出来るのは奇跡のようなものだと、おれも思う」
 誰もが王子の死を覚悟した。もう何度目かになる覚悟をしたのは、ほんの数週間前だった。城の誰もが、今度こそは、と空を仰いだ。
 ただひとりの人間を除いては。
「でも、大丈夫だった。王子は奇跡的に、快復した。城の皆は本当に驚いたよ。ただひとりを別にして」
「ただひとり?」
「そう。――悠灯だ」
 予言者様、と、時人が意外そうに小さく呟くのが聞こえた。
 予言者である悠灯は、城中が嘆きに満ちていたそのときにも、ただ金花王子の部屋に訪れ、平然とした顔でこう告げた。
(「――この風邪が治ったら、一度、街の外に出てみましょうね」)
(「外には広い緑の草原が続いています。どこまでも。しばらく歩いて丘を越えれば、そう、天気が良ければ、もしかしたら海が見えるかもしれません」)
(「さあ、王子。ぼくには見えていますよ。あなたは走ってはいけないという空夜の小言も聞かず、元気に駆けて行く。ぼく達ふたりが、そう簡単には追いつけないほどに、元気に。ぼくは知っている。それは、必ず訪れる未来だ。……約束しましょう、王子」)
(「約束を、しましょう」)
 悠灯が金花王子の病状を語るのは、その父親である国王だけだった。
 その国王が呼び寄せた名医の呼び名も高い医師は、治療の手を尽くし、ただ渋面をつくってその場に立ち尽くしていた。
 そんな中、予言者ひとりが、不自然なまでの明るい声で、未来を語り続けた。
 城内でただひとり、医師よりも確実に王子の未来を把握する者として。予言者として。
 王子をいとしく思うひとりとして。
 彼は未来を語り続けた。
 そして悠灯のその言葉通り、金花王子は一命を取りとめた。
「そうなったらそうなったで、城の人間は、予言者は未来を読み違えることはないと、揃って悠灯を称えた。
 ――でも、本当に称えるべきなのは、正しい未来を読んだ、そのことじゃないんだ。……そんなことじゃない。他の誰もがもう駄目だと、王子の死を覚悟して、受け入れて、ただ諦めていた。そんな中、王子は死なないと……死んではいけないと言い続けたのが、悠灯ただひとりだった。それは、誰にも触れられることはないんだ。どうしてなんだろうな」
「空夜……」
「どうして皆、あいつが悲しむことなんてないと思うのかな」
 悠灯の言葉を思い出す。
(「ああ、ぼくは、こうなることを知っていた、って。それが予言者。……ぼくだ」)
 何度も繰り返し読んだ物語を生きるのは、どれほどの苦しみなのだろうか。
 何度も繰り返し読んできた悲しみを、避けることなく受け止めなければならないとしたら。
 彼は他の人間の何倍悲しむことになるのだろうか。
 と、視線を感じて、空夜は思考を引き戻される。
 時人が、心配そうな顔で空夜を見上げていた。
 浮かんできた、答えが見つかりそうにない考えを振り払うために、首を振る。
「……いや、そう言うことを言いたいんじゃなかった。そうじゃない。その……悠灯は、金花王子のことを本当に思いやっているんだ。そういうことなんだ」
 見上げてくる銀色の視線を受け止めて、空夜は言う。
 これが、悲しそうな顔をしたこの子どもに、本当に伝えたかったことだ。
「だから、分かってくれ、時人。あいつは、ただ冷たい人間じゃないんだ」
「ええ、知っています」
 空夜の言葉に、時人はゆるやかに微笑んだ。
「予言者様があなたを見る目は、とても優しい」
「優しい、か……?」
 どちらかというと、いつも馬鹿にされたり、呆れられたり、はぐらかされたりしている気がする。
 空夜のその反応に、時人は何も言わずに、少しだけ嬉しそうにもう一度、優しいですよ、と繰り返した。
「わたしが嫌われるのは、仕方のないことです。だから空夜は、そんなに気にしないでください。それにわたしは、予言者様が嫌いではありませんし」
 だって、とそこで言葉を止め、はにかんだように時人は笑う。
「だって、空夜のお友達なんですから」
「友達か」
 その言葉に、ふと、思い当たる。時人と金花王子。この世界を存続させる、奇跡の存在である少年と、存在し続けていることが奇跡である少年。同じ年の、ふたりの少年。
「金花王子と、話してみないか?」
「……わたしが?」
「王子には同じ年の友達がいないんだ。城に出入りするような子どもは、皆、王子に近づいてはいけないと言われているみたいだから」
 それは国王から言われていることでもあるらしい。他の子どもたちが元気に走り回っている姿を、王子に見せるのは可哀想だと思ってのことだと、悠灯が言っているのを聞いたことがあった。国王は王子を溺愛している。
 しかし時人ならば、それも許されるかもしれない。すごいな、と言って時人を見ていた金花王子の目は、好奇心に輝いていた。
 金花王子はいつも、悠灯と、世話係の女官と医師ぐらいとしか言葉を交わす機会がない。たまに、人に悪く思われるのもお構いなしな悠灯が空夜を連れて行くくらいで、親である国王も一日にほんの短い時間しか、王子の傍にいてやることは出来ない。
 それに対して、時人にも、城の中では親しく打ち解けられるような相手がいないように思える。
 時人が王子と仲良くなってくれれば、それは双方にとってとても良い話であるような気がした。
「王子は時人と話が出来たら、きっととても喜ぶと思う。……どうだろう?」
「わたしも、同じぐらいの年の友達がいません。同じですね」
「……郷には?」
「わたしは、『時人』としていろいろなことを教わらなければなりませんでしたから……」
 この街でも「時人」は特別な存在だ。ましてや、あの郷ならば尚更のことだろう。ほとんど神の子のような扱いをされていたのだろうことは、想像できた。
 時人の言葉に、空夜は納得する。はじめて会ったときから、その年齢に似合わぬ言葉使いに違和感を覚え続けてきた。「時人」であるのならば、いずれ国王に会うことは必須だ。謁見の際に失礼のないように、小さな頃より訓練させられてきたのだろう。
 あの郷は、「時人」が生まれる場所なのだから。
「ですから、その。……ともだちになれるのならば、嬉しい、です」
 王子様相手に、ともだちなどという言い方は失礼なのかもしれませんが、と、照れたようにうつむきながら、時人は付け加える。
 それでもその頬はかすかに染まっていて、少年は言葉の通りに、嬉しそうに見えた。
「明日、一緒に行こう」
 空夜のその言葉に、はい、と時人は頷く。
 手をつないで城へと帰るふたりの後には、ただ淡く照らされる街道に薄い影が伸びていた。


 いかに花を愛でようとも、愛で続けようとも、いつまでもそこに在れと祈ろうとも。
 時の流れに散るのが、咲く花にあたえられる定め。
 手折られようとも、風に吹き散らされようとも、立ち枯れようとも、それはまた。
 いずれは必ず訪れる、咲く花の定め。

 金花王子がふたたび高熱に倒れたのは、その翌日だった。

≪モドル ■ ススム≫


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