index > novel > 時人の鐘 > 1章 『ねじまく世界 /3』


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 夕刻を告げる鐘の音に見送られながら、迎えの馬車で城へと向かう。それは時人がこの街に来たときのものよりも、さらに立派なものだった。御者も別の人間だ。笑顔で時人に会釈したことから、彼がこの仕事をとても光栄に思っているのだと知れた。空夜には、ちらりと一瞥をくれただけだった。時人はといえば、相変わらずのあの表面の凍った鏡のような笑顔で答えるのみ。
 御者は時人だけを迎えに来たつもりだったようで、空夜は乗せずに城に向かおうとしていた。空夜はそれが当然だと思ったが、それなら自分も歩いて行くと時人が言い張り、仕方なしに空夜も同乗させてもらえることになった。
 その道中。時人が空夜に尋ねてくる。
「……ずっと気になっていたのですけれど。どうしてこの街の人々は、皆、あなたに対して冷たいのですか?」
「なんだ。それも知らなかったのか、おまえ?」
「まさか」
 空夜は時人のその質問に驚き、時人は空夜のその反応に驚いたようだった。
「まさか、それは……」
「おれが『できそこない』だからだよ。今はもういないけれど、そんな『できそこない』はいつか大きな綻びをもたらすと言った占い師がいた。そいつは国王のお気に入りだった。……そういうことさ」
「……ごめんなさい、空夜」
「……おれは誰にも謝ってもらいたいと思ってはいないよ。その占い師の言ったことが本当なのかどうかは、誰にも分からない。信じるかどうかは、個人の問題だ。……おれを、嫌うかどうかも。だから、おまえが謝る必要はないよ」
「だって、もともとは。あなたをわたしたちの郷から追い出した奴らがいるんだ。そんなことがあったから、あなたはこんな遠い街まで連れてこられて、そうやって辛い思いをすることになったんだ」
「時人。それこそ、おまえがそんな風に気負う必要のないことじゃないか。いいか、何度も言わせるな。おまえは悪くない……やめよう、この話は」
「この街のひとは、皆、わたしには親切です」
 話を切り上げようとする空夜に、時人は怒っているような、泣きたいのを我慢しているような顔をして、なおも続けようとする。
「そして、あなたにはそうじゃない。……おかしい。そんなの、わたしは嫌だ」
 馬車が、止まる。しかし、時人の言葉は止まりそうになかった。
「間違っているのは、他の皆なのかもしれないんです。……本当に優しくしてあげなくてはならないのは、わたしではなくて――空夜、あなたなのかもしれないのに。きっと皆、まちがっているんだ……」
 それは最早、誰に向けた言葉というわけでもなく、独り言のように呟かれ続ける。銀色の瞳を伏せて、時人は懸命に泣くまいと堪えているように見えた。いかに重要な力を持つとはいえ、まだ幼い子どもだ。時人にそんな顔をされ、空夜は自分がとても悪いことを言ったような気分になる。とは言え、日ごろ子どもとの触れ合いの機会などあまりないため、こんな時にどう対処したらいいのかも分からない。黙ってしまった時人と、何を言ったらいいのか分からない空夜。居心地の悪い空気が満ちる。
 と、その時。
「……あのー……お降りにならないので?」
 突然、沈黙に割って入る声。御者だ。馬車を止めてずっと、2人が降りるのを待っていたらしい。いつまでたっても黙って動かない客人に、一体何があったのかと不審そうな目を向けている。……おもに、空夜に。
「時人。ほら、降りるぞ。……疲れているだろう、今日は早く休んだほうがいい」
「――はい」
 空夜がそう言うと、時人は意外と素直に、そう頷いた。


 外は沈みゆく陽に染め上げられて、すべてが橙色の色彩を纏っていた。
 馬車が止まったのは、城の正門でもなく、西側の国賓館でもない、厩舎の前だった。賓客である時人を降ろすには似つかわしくない場所だ。
「……ここでいいのか?」
 自分が聞くのもおかしな話だ、と思いながらも、空夜は所在無さ気にたたずんでいる御者に、そう尋ねた。
「はぁ、わたしも不思議なのですが。予言者様がここで、と仰いまして」
「あいつが?」
 その言葉に、思わず空夜がそう返すと、御者は不快そうに眉をひそめた。
「……あの方が、意味なく指示されることはありません。我々のような何の力もないものが、それを探ったり疑ってはなりません。その態度は、あまりに不敬だと思いますが」
(……そう言われてもな)
 御者の言葉に、空夜は内心で苦笑する。この城の人間の多くが、予言者を崇拝していると言っても過言ではない。そんな人間にとって、空夜の存在は尚更気に食わないものなのだろう。御者の態度が、それを物語っていた。
 御者は更に何か言いたそうにしていた。しかし空夜のほうにこれ以上その問題について話す気はない。馬車から降り、厩舎の中を珍しそうに覗き込んでいる時人を指して、空夜は聞いた。
「それで、この後こいつはどうしたらいいんだ?」
「こ――」
 こいつとは何だ、と言いたげに、御者は目を丸くした。予言者に続いて、世界を救うはずの英雄『時人』にまで、と、その目が言っている。口で何か言われるより先に、空夜は続けた。
「あいつは何と言っていたんだ。ここで降ろして、それからどうしろと?」
「それは――」
 答えようとした御者を遮り、別の声が別の方向から飛び込んでくる。
「ここだよ、空夜」
 聞き慣れた声。空夜がそちらに視線を向けると同時に、時人と御者も声の方向を見た。その姿を確認して、御者は背筋を伸ばし、敬礼する。時人はと言えば、じっと、声の主を見ている。
「随分と、琥珀のところで時間を潰してきたようだね?」
 彼はどこか不機嫌そうな声で、空夜に真っ直ぐに目を向けて、言う。
 厩舎から一番近い建物は兵舎だ。城を訪れる者や、他国からの客人の目には触れぬように、正門からも国賓館からも離れた位置に建てられている。だが、どちらの建物にも続く通路が伸びているため、彼は城に出入りする際は、必ずと言っていいほどこの兵舎を通る。空夜は彼のその習慣も、その理由もよく知っていた。人の目が一番少ないのが、ここだからだ。
 機嫌の悪そうな彼は、その兵舎の入り口に立っている。彼が背にしている煉瓦の壁は、落陽によって紅く染められていた。杏色の彼の髪が、沈んでいく、溶けそうな太陽の橙色の光に染められていた。その色ととてもよく似ている茜色の瞳は、真っ直ぐに空夜を見ている。
 すべてを見通す力を持つ瞳が、空夜を見ている。
「遅かったじゃないか」
「時間を潰したのはあの神父には関係ない。時計を見に行っていたんだ」
「……うん、そうだろうね。まぁいいや、とにかく、お役目ご苦労さま。さて」
 彼はそう言って、少し尖らせていた目を、ふ、と微笑ませる。そのまま、立ち尽くしている時人に顔を向けた。表情だけはそのままで、だが、確実に声を硬くして、彼は告げる。
「国王がきみをお待ちだ、時人。謁見の準備は整っているから、すぐに向かうように。……そこの人、案内を頼むよ」
「分かりました!」
 声をかけられて、御者は弾かれたように返事をする。ただそれだけの言葉で、御者がとても嬉しそうな顔をしたことが不思議なのだろう。時人はそんな御者と、茜色の彼を交互に見比べている。空夜に対しては、お世辞にも態度がいいとは言えなかった男が、この人物に対しては異様なまでの礼を尽くしているのが気になるのだろう。ましてやそうされている人物は、どう見ても空夜とそう変わらない年の頃だった。
 そんな時人を見て、彼は口元だけを微笑ませる。
「……何か?」
「あなたは、一体――?」
 時人のその問いかけには答えず、彼は皮肉気に言った。
「時計が止まるには、まだ猶予があるはずだ。何故、きみはそんなに急いでこの街に来たのかな?」
「……!」
「……そう、ぼくはきみが何をするつもりなのか、何をするのか、知っている。それだけは忘れないで欲しい」
「では」
 時人が予想していた姿かたちとは、大きく異なっていたのだろう。驚きに満ちた表情で、時人は声を上げる。
「あなたが、琥珀の言っていた――」
「『すべての未来を引き受けるもの』と? あの男の感傷は相変わらずだな。
……ぼくの名前は、悠灯ゆうひ。別に、覚えてもらう必要も感じないけれども、こう呼ぶ人もいる」
 そこで一旦言葉を切って、彼は口元でかたどっていた微笑を消す。そしてその微笑みの替わりに、真っ直ぐに、敵意すら感じられるほどの強い眼差しを時人に向け、『すべての未来を引き受けるもの』――悠灯は続けた。
「予言者、と」


「子ども相手に、あんな言いかたはないんじゃないのか」
「相手は『時人』だ。子どもである以前にね。……ぼくが悠灯であるより先に、予言者だなんて言われるのと同じだよ」
 御者が時人を連れて城内に姿を消したその後も、空夜と悠灯は厩舎の前に残っていた。太陽はすっかり沈みきり、赤い空は徐々に闇色へと身を染めていきつつあった。
 煉瓦の壁にもたれて、爪先で小石を蹴り飛ばしている悠灯に、空夜は言う。
「おれにとっては、違う」
「そりゃきみはそうだろうけどさ。……それに、あの子どもの目は嫌だ。あんな銀色」
「おまえそれ、琥珀にも同じようなことを言っていなかったか? あの目が嫌だと」
「そうだよ。ぼくは人の目を見るのが嫌いなんだ。ああでも、きみの目は別だな。すごく綺麗な青色だから」
 そう言って、悠灯はにこりと微笑む。どう答えたものか検討もつかず、空夜は、そういえば、と話題を変える。
「どうして、馬車をここに? 時人が来るんだ、堂々と正門から入れば良かったんじゃないか。何か問題でも?」
「うん、きみだよ」
「……は?」
「きみが同乗していただろう、一緒に。正門では確かに、時人が来るってことで歓迎の用意も進んでいた。人間もたくさんいた。時人の到着を待っていた。……きみ、そんな中に行きたかった?」
「それは……確かに」
 ただでさえ温かい扱いを受けているとは言いがたい空夜だ。客人を迎え入れようと盛り上がっている雰囲気の中に、しかも当の時人と一緒に登場しては、面白い目には遭えないだろう。
「――だろう?」
 空夜の反応を見て、悠灯は満足げに笑った。得意そうなその顔は、ずっと年下であるはずの時人よりもはるかに幼さを感じさせる。
「……助かった。ありがとう」
「いいよ。きみも、頑張って時人の出迎えに行ったしね。あんな手紙、無視すればよかったのに」
「特に頑張ったつもりはない。自分でしなければいけないと思ったことだから、した。それだけだ」
「きみがそういう奴なのは、知ってる。でも、あんなことを言ってくる失礼極まりない連中、ぼくは許さないな」
「もしかしておまえ、それで時人に当たってたのか?」
「それもあるね。きみを追い出したその連中の代表みたいなものだし」
「そんなことで、おまえが誰かを悪く思う必要は――」
 ない、と言おうとする空夜の言葉を最後まで待たず、悠灯は口を開いた。
 「それに、あの子どもが好きになれそうにない理由なら、いくらでもある。そのひとつ。あの子どもは、王子殿下と同じ歳だ。こんな時に、王に接して欲しい相手ではないよ」
「……金花きんか王子か。どうなんだ?」
 空夜のその質問には答えず、悠灯は曖昧に微笑んだ。その反応で、答えが分かる。良くはないのだ。
 細い手足。自由に歩き回ることすら制限されている、利発な瞳の少年。
 病床の王子と、馬車の中で涙を堪えている時人の姿が重なる。王は時人に会うことで、自分の息子のことを思わずにはいられないだろう。それは確かに、残酷なことにも思えた。
 悠灯は続ける。
「……時人が来た。そのことが、ぼくにとっては多くの意味を持つんだ。きみになら分かるだろう、空夜。あの子どもの存在は、多くのものを動かしてしまう。ぼくが、できるだけ遠い日であればと思って止まない出来事を連れて来る凶星だ。・・・・・・だから、ぼくは時人を憎むよ、いろんな意味で。きみも取っちゃうし」
「人を物のように言うな。それに、おれが時人を手伝うのは当然だろう。ちゃんとおまえの相手もしてやるから、安心しろ」
 ため息とともに空夜がそう言うと、間髪入れず悠灯は頷いた。
「うん、知ってる」
「……おまえと先のことを話すのは、相変わらず一方的に不毛な気分になるな」
「仕方ないよ。予言者だもん」
 反論の仕様もなく、空夜は黙り込んだ。
 と。
(……ああ、そう言えば……)
 ふいに、悠灯のその言葉に、空夜は時人の言葉を思い出した。街門まで出迎えに行った空夜に、時人がかけた第一声。
(あれは、こいつが言った言葉でもあったんだな……)
  ――みつけた、きみだ。
 初めて出会う人間のはずなのに、ずっと探していた、とでも言うような口ぶりで。
 それはもうずっと昔に、悠灯の口から聞いた言葉だった。



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