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第一章 「蝶」 |
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6. 恋狂い 帯を結ぶのは難しいが、解くことは出来る。 背を抱いた指を滑らせて、結び目をほどくと、捧も真似をするように、コウの着ている洋服の襟元に手を掛けてくる。捧と同じように、着物を着慣れていればよかったのに、と思う。折角、家にたくさん置いてあるのだから。そうすれば、少しは一緒にいて釣り合いが取れかもしれない。そんなことを思いながら、ほどいた帯を引き、静かに床に落とす。 まるでその音が聞こえたように、捧が、小さく笑った。 「……コウ。どうすればいい?」 もうすっかり耳に馴染んだ低い声が、そっとそう問いかけてくる。かすかに戸惑いのようなものが含まれているが、同時に、コウをからかっているような、そんな声音でもあった。答える代わりに、何度目か分からない口づけを返す。唇を重ねたまま、互いの肌を晒すために、着ているものを脱がし合った。時折いたずらに肌に触れてくる指がくすぐったくて、顔を見合わせては小さく声をたてて笑い合う。恋人同士の触れ合いというよりも、子どもがじゃれあって遊んでいるようだった。 窓の外からは、まだ降り止まない雨の音が聞こえる。今頃、花羽の屋敷では、捧が居ないことに誰かが気付いているだろうか。そこに居るべきものがないことを目にして、あの家の者たちは、どうするのだろう。花羽未月の剣幕と、当主であるらしい母親の目を思い出しかけて、それを打ち消す。今は、何も考えないでいたい。 手触りの良い生地の襦袢を捧の肩から滑り落とし、囁くように尋ねる。 「寒く、ない?」 捧はコウの顎の下に唇で触れてから、大丈夫だとすぐ近くで微笑んだ。 しなやかな、俊敏な獣のような体付きに、思わず見惚れた。無意識のうちにその胸に頬を寄せて、縋りつくように背中に両腕をまわして強く抱き締める。耳を澄ますと、心臓の鼓動が頬から伝わって響いた。震える指先で、外気のせいで冷えた背中に軽く爪を立てる。耳を当てて聞いている拍動が、ほんの少し速くなった気がした。 これを、誰にも渡さない。この身体も、そこに収まる魂も、流れている赤い血も一滴のこらず、自分のものにしたかった。 「すごく、綺麗だ」 捧がそう呟いて、コウの首筋から鎖骨にかけてを手のひらで撫でる。薄い皮膚の上からなぞられると、まるで直に骨に触れられているようだった。身体の表面をほんの少し、軽く撫でられただけで、全身が震えた。手のひらは熱を持っていて、触れられた箇所すべてにその熱が移って火が灯ったように火照った。滑る指が薄い胸にまで落ちると、咄嗟に声を上げてしまう。その声が自分でも聞いたことのないような上ずったものだったのが恥ずかしくて奥歯を噛む。捧が、コウのそんな表情を覗き込んできた。 「ここが好き?」 無邪気な子どものような言葉だったが、向けられた眼差しには、濡れたような艶があった。頷くよりも、首を振って否定するよりも先に、また同じ箇所に触れられる。小さく弧を描くように撫でられ、胸の突起を指先で軽く弾かれると、抑えようとしていた声がたやすく漏れた。 「っ、あ……!」 「……コウは、全部可愛い。ここも、すごく可愛い色をしている」 肌に吐息がかかる距離でそう囁かれ、片方だけだった胸への愛撫が、残りの方にも施される。先端を潰され、指先で摘まれ、捏ねるように撫でられる度に、背筋が震えて、手のひらと足の裏が痺れたように熱くなった。清川にも、こんな風にされたことはあるが、その時とは、全然違う。もう、声を抑えることも忘れて、そんな所を弄られてひたすらにおかしくなっていく身体をどうにかしたくて、それだけで精一杯だった。濡れた感触と、それを感じた時に同時に身体を迫り上がる強い熱に、それまで指先で触れられていたそこに、今度は舌で撫でられたのだと気付く。強すぎる感覚に恐怖すら覚えて、捧の髪に指を差し入れて、止めて欲しいと懇願しようとした。 「捧さ、ん……、っ、あ」 けれども、そう伝えるより先に、唇できつく吸われて、何も言葉にならなかった。指先でされたように、舌でも同じように弄られて、それだけでなく、時折、甘噛みするように軽く歯を立てられる。 「や、ああ……っ!」 びくんと身体を大きくのけぞらせると、背中に回された捧の手が、宥めるように撫でてくる。普段は意識したこともないような箇所を指や舌で愛撫されたせいで、全身が過敏になっていた。どこに触れられても、今は気が狂いそうに、気持ちが良かった。身体のどこもかしこも熱くて、もう何も纏っていないのに、はやく全て脱ぎ捨ててしまいたいと、そんな風に思ってしまうほどに苦しい。 可愛い、と、何度目になるか分からない呟きを繰り返して、捧が顔を上げた。 「コウ」 コウの上気した頬に微笑んだ捧が、目の縁に滲んだ涙を舌で舐め取り、そのまま目尻に口づけを落とす。 直に頭蓋骨の内側に囁かれたように、その声が耳朶の芯まで染みて響く。身体に触れていた手が一旦はなれて、かわりに、引き寄せられるように強くその胸に抱かれる。触れ合うどの部分にも、熱が伝わった。 そうして、誰にも聞こえないように、内緒話をするように、囁かれた。 「おれは、コウが好きだよ」 堰を切ったように、身体の中にどろどろとした蜜が溢れる。それらはすべて、赤い色をしたコウの血そのものだ。重くなって甘くなって、はやく捧に溶けてひとつに混ざりたいと、逆巻きながら暴れていた。 「……っ、捧、さ」 望むもののために、後孔を指で慣らそうとしたが、すぐにもどかしくて堪らなくなった。 清川とは、何度と繰り返した行為だ。なおざりに解しただけでは、受け入れるコウだけでなく捧のほうにも苦痛を与えることは分かっている。それでも、欲しいという気持ちを抑えきれなかった。詫びるような気持ちで何度か浅く口づけてから、充分な固さをたたえている捧の熱そのものに手を添え、その上に跨った。 「捧さん、おれも、」 口づけの合間に、先程の捧の言葉に応えようとした。けれども、導くように手を添えて、窄まりに当てた熱に、口にしようとしていた言葉を忘れる。 「おれも、……ふ、あ……っ!」 出来るだけ深く息をするよう意識しながら、少しずつ、腰を落とす。手で触れたときよりもずっと熱い昂ぶりを、ゆっくりと時間を掛けて呑み込む。深く、すべてを受け入れてはじめて、息苦しさに喘ぎながら捧の顔を見上げる。どんな表情を浮かべたらいいのか分からないでいるような、素直な戸惑いが表に現れていて、少し幼く見えた。それがとても愛おしくて、両手のひらで頬を包んで、額を擦り寄せながら、その鼻先に唇を落とした。 「捧さん、……っ、ァ」 熱と、圧迫感を感じるだけで、他の感覚はなかった。それでも夢中になって、もっとその存在を確かめるために、何度も腰を使った。すべて抜け落ちそうなほどに腰を浮かせてから、ふたたび根元まで埋めるように体重を掛けて沈み込む。身体を引き裂かれるような痛みさえ、すぐに痺れに変わって、コウを満たすだけだった。 「は、あ、……あ!」 行為に没頭していくコウとは反対に、捧はじっとコウの方を見ているだけだった。腰の動きを支えるように、手をコウに添えてはいるが、自分から動かすことはしない。そのことが余計に、コウを熱くさせた。この人は綺麗だ、と、霞む頭の中で、そう思う。清らかで美しいこの人を、薄汚れた自分の肉の中に招き入れることで、汚している。望んで、焦がれていた人を受け入れているその事実が、何よりも身を蕩かした。 そこに直接は何の刺激も与えていないのに、いつの間にかコウの前の方も身をもたげて、身体を揺する動きに合わせて、淫らに先端を震わせていた。捧がそこにも目をやり、淡く微笑む。 はしたなく勃ち上がって先端から白濁した液を垂らすものを、捧のあの清冽な眼差しにとらえられていることをひどく恥じながら、同時にそのことに身体が震えるほどの快感を覚える。肉体への快楽よりも、心の内側から迫り上がってくるものの方が大きく、強かった。ずっと欲しかった。別の誰かではなくて、ずっと、この人が欲しかった。 「……っ、捧、さ」 名前を呼ぶ途中で捧に引き寄せられ、深く唇を貪られる。それまで交わしたどの口づけとも違い、まるで、食べられるような、どこか凶暴な深いものだった。舌をきつく吸われて、その瞬間に全身が一度、大きくびくりと震えた。 「ひ、あ……!」 湧き上がるものに堪えきれずに、そのまま身体を震わせて、精を吐き出す。まだ受け入れたままの捧の熱と、達した余韻に、深い息が漏れた。 捧は静かに、コウを見ている。それまで腰に添えられ、コウが好きなように動くままにさせていたその手が、ふいに動いて、荒い呼吸を繰り返す胸に触れる。ほんの少しの間、大きく跳ねている心臓の動きを確かめるように手のひらを当てられ、やがてそのまま、指先で撫でられるように、下へ滑る。 コウの腹に零れた白い液体を、捧は指で掬って、食事を取るときの箸遣いと同じような、綺麗な仕草で舐め取った。その指に絡まる白と、それに這わされた、かすかに覗く赤い舌が鮮やかで、美しく、ひどく淫靡に見えた。 捧を中に受け入れたまま、一度果てたコウは息を荒くしてその様子をぼんやりと見上げていた。 指を舐めたきり、何も言わない捧と眼が合う。何か言わなければならない気がして口を開きかけて、しかし捧の両腕が、強い力でそれより先にコウを捉えた。骨が軋みそうな力で抱き締められて、瞬間、息も出来ないほどだった。そのまま、身体を押さえつけられるように覆い被されて、床に縫い止められる。 いつでも穏やかで、静かな笑みを見せる彼らしからぬその乱暴な手つきに驚いて、押さえ込まれたまま、コウはその顔を見上げる。捧はこれまでに見せたことのないような、静かだが、どこか怒ったような表情をしていた。 「……コウ」 かろうじて聞き取れるほどの微かな囁きは低くかすれていた。自分より上背のある捧に押さえ込まれ、コウは身動きもままならない。繋がったままの部分が、火傷しそうなほど熱かった。 捧はコウの頭蓋を掴むように強く引き寄せて、また強い、貪欲な口づけを求めてくる。唇や、絡め取られた舌だけでなく、大きく口を開かされ、歯までを噛まれ、口に含まれる。 まるで余裕のない、その性急な求め方に、一度果てて萎えたコウ自身にも、すぐに熱が戻る。身体を密着され、肌と肌を擦りあわされているため、捧はすぐにそのことに気付き、唇に施すのと同じように、勃ちあがったものにも指を絡めて、撫でるように触れてきた。 「っ、や、だめ、だ」 「駄目? ……コウも同じことをしてくれているのに?」 幾分か低い、かすれたままの捧のその声だけで、目が眩んだ。直接手で触れられて、それだけでまた達してしまいそうな程に感じてしまう自分がみっともなくて、コウは短く息を吐きながら、何度も首を振る。 捧は耳元で低く笑うだけだった。コウの言葉を無視した大きな手のひらで、包み込まれるように撫で上げられて、大きく背中を反らす。 「だって、だめだ、そんな風に、触ったら……、っ」 「さっきは、気持ちがよかった?」 耳朶を噛みながらそんな風に囁かれ、耳の付け根に顔を埋めてそこも強く吸われる。 「おれをこうやって中に入れて、少し動いただけで、あんなにたくさん出して。そんなに、気持ちがよかった?」 からかうような、どこか意地悪なもの言いだった。まるで淫乱な身体を咎められているような気分になり、コウは首を振る。 「ちがう、だって、こんなの知らな……っ、あ!」 「ほら、少し触っただけなのに、もうこんな風になっている。おれが何もしなくても、自分だけであんなに可愛く、ひとりで悦ぶ。……コウは、」 先端に爪を立てられ、じくじくと溢れる先走りを指先で弄ばれる。痛みと、それを遙かに上回る快楽に襲われ、囁かれる言葉が、はっきり聞き取れなかった。 「おまえを支配する男がいたというのなら、これははじめてのことではないんだろう。それでも、知らないと言うなら」 触れられていた手が離れ、強い力で、両膝を持ちあげられる。足を大きく開かされて、幾分か浅くなっていた繋がりをふたたび深くまで埋め込まれた。 「は、ひぁ……っ!」 上から押さえ込まれるように乗られることで深く受け入れたその熱に貫かれると、先程よりもずっと強い圧迫感があった。一度に押し込まれて、張り出した部分が内側を割り裂く感覚に、背筋が震える。 「コウは、おれのことが好き?」 見下ろす捧の瞳は怖いほど真っ直ぐに欲望を伝えてくる。それなのに、尋ねてくる言葉がどこかたどたどしく、子どもじみているのがひどく不釣り合いだった。 「……っ、好きだよ」 微笑む余裕も、言葉を選んでいる余裕もなかった。 「はじめて見た時から、ずっと、好きだ……」 ただそれだけをどうにか口にする。それ以上、言葉になりそうになかった。腕を伸ばして捧の首筋をつかまえる。掻き抱くようにしがみつくと、捧もコウの背中に腕を回し入れ、同じだけの力で抱き返してきた。 「……コウ」 「っ……!」 貪るような深い口づけを交わしながら、捧が腰を揺する。最初は身震いするようなかすかな動きから、やがて少しずつ激しさを増していく。引き抜く寸前まで腰を引かれ、そのまま、また奥深くまでねじ込まれる。その度に内側の粘膜が引きずられ、その感覚に涙が滲んだ。 「……可愛い、コウ。すごく、いい匂いがする」 耳元でそう囁く捧の息が荒かった。力の加減なしに、まるで犯すように激しく腰を打ち付けられる中、時折、目の前が白く霞むほど、強い快感があった。その場所を、先の張り出したかたちをしている部分が擦る瞬間、意識しないままにそれまで以上の声を上げて身を震わせてしまう。 「あっ、や、は……!」 「……ここが、好き、なんだな」 「ひ……っ!」 コウの反応からそれを察したらしい捧が、笑みを浮かべて、その箇所を攻めてくる。突かれるたびに、自分の先端から漏れるように精が零れるのが分かる。気が狂いそうに気持ちが良くて、コウも自分から腰を擦りつけた。 「っ、あ、捧さ、……ささぐ、さん……!」 「……コウ、……、っ」 名前を呼んで、きつく捧の首筋にしがみつきながら、全身を震わせて、コウはまた達した。少しだけ遅れて、捧の腕にも力が籠もり、潰されそうなほど強く抱き締められる。体内に迸った熱に、捧が自分の中で果てたのだと気付き、その熱さと腕の強さに、酔ったように目眩がして、崩れるように、力が抜けた。 眠りについたのは明け方近くだった。 捧はコウを一晩離さず、何度も、そのまま繰り返してコウを抱いた。その間中、意識があったような、なかったような、ずっと曖昧な状態だったので、あまり記憶はない。おぼろげに、熱と、交わした肌と言葉の甘さを覚えている。 喉が渇いて、身体が重くて怠かった。目蓋を開けるのも面倒だったが、目を覚ましたのは、いつも同じ時間に鳴らしていた目覚まし時計のせいだった。学校に行くために起きる時間だ。音を止めて、ぼんやりと考える。しばらくして、今日が休日であることを思い出した。昨日は学校に行かなかったので、曜日の感覚がよく分からなくなっていた。 それならばまだ眠れる、と、布団に戻ろうとした時に、ふいに腕を掴まれ、身体が引き寄せられた。 「……捧さん?」 目覚ましのせいで起こしてしまったのか、と思い、謝ろうとするより先に、昨夜の続きのように抱き寄せられる。 「どこかへ行く?」 「行かないよ、今日は学校も休みだし。でも、捧さんが、どこか、行きたいところがあるなら」 「……おれはコウがいるなら、どこにも行かなくていい」 まだ完全に眠りから醒めきってはいないような、どこかぼんやりとした目をしていたが、そう言い切る声と、コウを引き寄せる腕は強かった。朝の冷えた空気に触れる肩が寒くて、逃れるように素直にそれに従う。布団はひとり用のものなので、ふたりで使うには窮屈だった。 眠っていたのだから当然だが、捧が眼鏡をしていないことに気付き、その顔をしげしげと見つめる。 「どうした?」 「……眼鏡を掛けていないのは、はじめて見たから」 眼鏡がないと、どこか冷たい印象が少しだけ和らいで見える。時折見せる、子どものような振る舞いの、あの幼さを思い出させた。 「どのくらい見える?」 「元々、それほど悪いわけじゃない。このくらい近くにいれば、コウの顔だってはっきり見える。育ての父に当たる人が、よく見えないのでは可哀想だと言い張るから」 育ての父、とコウが思わず呟くと、コウの髪を撫でながら、捧は微笑んだ。 「おれも、コウと同じだ。両親は生まれた時から別々に暮らしていて、顔も知らない。ずっと、あの花羽の家で、未月の両親に育てられた」 「じゃあ、未月とは、兄弟みたいなものなんだ」 「そう思えとは、言われている。でも未月は、おれのことが余り好きではないから。……おれに限らず、未月はあの家の何もかもが嫌なようだけれど」 そう語る捧の声は、相変わらず、淡々としていた。それがどんな感情に基づくものかは見えないが、生まれた時からずっと一緒にある存在のことを愛おしむ類のものでないことは分かる。未月が捧のことを余り好きではないと語ったように、捧もまた未月のことを、簡単に兄弟のようなもの、という関係に言い表せるようには思っていないのだろう。 「それじゃあ、……っ、ふ」 聞きたいことはまだまだあった。捧に関することなら、何でも知りたいし、教えて欲しかった。それでもコウが更に続けようとした問いかけは、言葉さなかに耳朶を軽く噛まれて途切れる。 「……コウの耳は、とても可愛い。小さくて、思わず口に含みたくなる」 独り言のように、捧が耳元でそう呟く。昨夜さんざん交わしたような、低くて、甘い囁きだった。 「全部、おれのものだ」 雨は夜のうちに降り止んだらしい。閉めきったカーテンの隙間から、わずかに陽の光が細い線を作って薄暗い部屋に差し込んでいる。それでも、何故かコウの目には、その光が灰色に見えた。まるでまだ、雨が続いているような錯覚に、瞬間、強い頭痛がした。花羽家のあの不気味な庭で感じた寒気に、よく似ている。ここにいてはいけないと思い、こうして、この人を連れて逃げ出したのに。 まだ、檻の中にいる。自分たちを取り囲む、なにものかの気配だけが、確実に色を濃くしていく。 わけも知らず、そんな風に思えてならなかった。 頬を擦り寄せるようにコウが顔を寄せると、捧はそれに応えるように、コウを抱いたままの腕をかすかに強くした。 「この世界にあるものでただひとつ、おまえだけが、おれのものだ……」 落とされる口づけの合間に聞こえたその言葉が、まるで何かに祈るもののようで、胸に響いて、痛かった。
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