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鬼さんこちら
7

 ごとごとと、でこぼこの多い山道を、車は登っていく。とりあえず、一番道幅の広いところから行ってみることにして、もう、山に入って五分ほどたっただろうか。曲がりくねった道は、順の軽自動車がどうにか一台走れるくらいで、もし万が一対向車が上から降りてこようものなら、どちらかが延々とバックで戻らなければならなさそうだった。最も、いつまで行っても、車どころか、人のいるような気配すらまったく無さそうなので、そんな心配は無用のようだった。
 キャンプ場、というものが存在しているからには、ある程度、広場のようなものがあるのだろう。例え、コテージは森のような木立の中にあるとしても、炊事場や、車を止められる場所くらいは必要だからだ。それに、順は確か言っていた。川があるから、そこで、釣りをしようと。擁が窓から探す限りでは、それらしいものが、全く見えなかった。
「……道、間違えたかな?」
 大きめの石や、地面に出来た窪みの上を通るたび、車はがたんと揺れる。舗装もされていない山道でずっと運転を続けて、疲れも出ているだろう順は、それでも、声からはそんな様子は見られなかった。
「でも、戻るにしても、どこかでUターンしなきゃ、ずっとバックで降りるのはちょっときついしなぁ」
「もう少し行ってみろよ。そんで何も無かったら、そん時はそん時だ」
「了解」
 巧介の言葉に、順は頷く。今度は、ちゃんと起きている辰巳が、擁の隣で後部座席に座っていた。さっきのあの、不思議な表情を思い出して、窓の外を見るふりをして、辰巳の方をそっとうかがう。いつもと同じ、何を考えているのか、よく分からない静かな目で、外を見ていた。また、辰巳と目が合う。なに、と尋ねるように微笑まれたが、なんでもない、と首を振って、自分が座っている方の窓の外に、また目をやった。
「……あ、?」
 ふと、そこに、なにか見えた気がした。木の茶色と、葉の緑色以外の、もっと何か、人工的なもの。けれど、すぐに見えなくなる。気のせいだったのか、それとも、車がまたカーブを曲がったから、角度のせいで見えなくなってしまったのだろうか。
 順、と、そのことを教えようと、前の方へ擁が身を乗り出した、その瞬間だった。
「わ!」
 突然、順が声を上げた。それと同時に、車ががたん、と大きく跳ねた。あやうく、切り立った道の端から前輪が落ちそうなところで、急ブレーキで車が止まる。身を乗り出しかけていた擁は、その衝撃で前のめりに倒れかけて、それを後ろから、強い力で引き寄せられて、助かった。辰巳の腕だ。
「……あ、りが、と」
 肩を掴むその手に、ぞくりと寒気が走る。助けてくれたのに、そんな顔を見られてはいけないと思って、目をそらしながら、それでもお礼だけは、どうにか伝えた。うん、と、それに答える辰巳の声は、擁のそんな態度を、何とも思っていないようではあったが。
「あっぶねぇな! 何だよ、一体」
「ごめん、……怪我しなかった、みんな?」
「大丈夫だ。擁も、平気だな」
「うん」
 衝撃と、心配のせいだろうか。順の顔は青ざめていた。それに、大丈夫だと頷く。何があったのかは分からないけれど、とりあえず、全員無事なようだった。
「どうしたんだ?」
「……分からない。なにか、たぶん、ちょっと大きい石踏んだか何かかな。その途端、なんか、おかしくなった。ちょっと、タイヤ見てみるよ。巧介も、見てくれない?」
「おう、任せろ」
 順と巧介が、車を降りる。このまま大人しく座っているだけというのも気が引けて、擁も外に出てみた。辰巳も同じことを考えたのか、長い足を折り曲げるようにして、器用に、擁と同じドアから外へ出る。辰巳の座っていた方は、道の端すれすれになるから、出ようにも危険なのだろう。
 順と巧介は、後ろの方のタイヤを見ていた。巧介は車が好きで、免許を取る前から、よくそんな話をされることもあった。擁は車に関しては、教習所で習った知識くらいしか持っていないし、それにもう、免許を取って半年近く、まったく運転をしなかったに等しいので、ほとんど忘れかけていた。だから、何も出来そうにないので、黙って彼らを見ていた。辰巳も擁の隣で、何を言うでもなく、立っている。
 ふと、彼に尋ねられた。
「擁、さっき、何か言おうとしてたね」
「うん。気のせいかもしれないんだけど、何か、建物みたいなのが、見えた気がしたんだ」
「建物」
「そう。ほんの一瞬、ちらっと見えただけなんだけど……」
 あっちの方に、と、先程の方角を指差すと、辰巳もそちらの方に目を凝らす。ここから見てみても、何かがあるようには見えない。背の高い、これは杉の木だろうか、幹の太い真っ直ぐな木がたくさんあるだけで、とてもそんな気配は感じられなかった。
「タイヤの空気が抜けちゃってるみたいだ」
 それまで、巧介と一緒に地面にしゃがんで車を見ていた順が、こちらの方に向けてそう声をかけてきた。
「パンクしちゃったの?」
「うーん、タイヤ自体には、ぱっと見た限りでは傷はないみたいなんだけど……。ちゃんと、来る前に点検して貰ったんだけどなぁ」
 ごめん、と謝る順は、こんなことになったのは自分の責任だとでも言いたげに、どこかしゅんとしていた。出発前に、ちゃんと車の点検をしてもらって、それで問題がなかったのなら、それは順の責任とは言えないだろう。石か何かを踏んでしまったのも、彼の運転が悪いせいではなくて、道が悪いせいだ。
 そもそも、こんな、山奥まで彼らを来させたのは、擁が原因だといってもいい。擁が、人の多いところを嫌がるから。だから、そんな擁が気にならずに遊べるように、三人は考えて人の少ないこの場所を選んだのだろうし、辰巳など、キャンプ場自体を丸々貸し切ってまでくれたのだ。
 だから、こんなことになったのは、擁に責任がある気がした。そう言って、順を慰めようとした、その時。
「……あ、ついに、降り出したな」
 巧介が、そう呟くのが聞こえた。彼は空を見あげて、どこか忌々しそうに、ひとつ舌打ちした。頬にぽつりと落ちてきた雫に、擁もそれがなんのことなのか分かった。雨が、降り出したのだ。
「どうしよう。とりあえず、車のなかで、止むの待とうか?」
「すぐに止むならいいけどな。タイヤが直らないと、進むも戻るもできねぇだろ」
「うーん。呼んだら、ここまで修理来てくれるかなぁ」
 そう言いながら、順がポケットから携帯電話を取り出す。どこかに電話を掛けようとしたらしかったが、しかしすぐに、駄目だ、と首を振った。
「電波が来てない。圏外になっちゃってるよ」
 試しに、擁も自分の携帯を見てみる。確かに、圏外と表示されていた。山奥だからだろうか。
「もう少し、開けたところにいけば、繋がるかも」
 そう話している間にも、雨はぽつりぽつりと、少しずつ粒の大きさを増しながら、本格的に降り始めたようだった。それを手のひらで受け止めた辰巳が、こう提案してくる。
「ここでこうしていても仕方ない。擁が、あっちの方に、建物を見つけたらしい。……行ってみないか」
「建物? ……擁、ほんと?」
「見つけた、っていうか、そんなものが見えたような気がした、だけなんだけど」
 三人が、擁の方を見る。それぞれの目が真っ直ぐに自分を見ているのだと考えると、例えそれが友人のものであると分かっていても、うつむかずにはいられなかった。
「……とりあえず、そっちに、行ってみないか。管理小屋があれば、そこに、タイヤの空気を入れられる道具も置いてあるかもしれないし」
「賛成」
 巧介がそう言うなり、車の後部座席から、荷物を出し始める。
「ここでこうしてたって仕方ないだろ。それに、建物があるってんなら、たぶんそれが、キャンプ場なんじゃねぇの」
「そうかな」
 順は、納得がいかない様子で、それでも巧介を手伝い、荷物を下ろし始める。
「違ったって、少なくともそこに行けば、ここよりは広い場所があるんじゃねぇか。そうしたら、そこまで車もってって、停めておけばいいだろ。ここにこうやって置いとくよりはマシだと思うぜ」
「まあ、それは確かに」
「だろ? で、擁、どっちだって?」
 急にそんな風に声をかけられて、咄嗟に反応出来なかった。巧介が、そんな風に擁を呼ぶことは減っていたので、自然に名前を呼ばれて、驚いた。他のふたりと違い、巧介は、どこか、以前の擁と今の擁を、区別して考えているようなところがある気がしていた。それは悪い意味ではなく、巧介なりのいつもの気遣いの結果、なのだろう。けれども、以前の擁に言っていたような軽口や、乱暴に近いようなじゃれ合いを仕掛けてくることは無くなった。それを寂しいと思うわけではないが、なんとなく、そういうことを意識すると、自分は変わったのだな、と、改めて思わされてしまう。
 だから、昔と同じように、そんな風に呼ばれたことが、少し嬉しかった。
「……たぶん、こっち」
 雨が、次第に激しさを増していく。擁も自分の荷物と、何が入っているのか、比較的小さくて軽そうな荷物を順に持たせてもらい、先程、建物らしきものを見た方へと、三人を案内して、先に歩いた。

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