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= おれとおまえと弁当の話 =

 自炊する男は格好いい。
 そう思いはじめたのは、なんのことはない、もともと格好のいい男が、自炊をはじめたことがキッカケだった。
 我ながら単純な話である。
「おっ、珍しいな、小川。きょう、弁当なんだ」
「まぁね」
 昼飯時、何気なく机の上に置かれた、弁当箱にそう声をかける。
 いつもは購買のパンだったり、一緒に学食に行く友人の小川が、その日は何故か弁当箱を持参していた。
「珍しいな、カーチャンが作ってくれたのか」
「や、おれが作った」
「おまえが?」
「そう。そんな、ハトが豆鉄砲喰らったみたいな顔するなよ、失礼なやつだな」
「だって、おまえ、……どうしたんだよ、急に」
「別に。ただ、うちのお袋、しばらく親父のところに行くことになってさ」
 小川の家は、いまは父親が単身赴任中である。
 飛行機を使えば二時間で行ける距離ではあるが、それなりに、遠くに離れて暮らしている。
「親父、なんか、入院するみたいで」
「入院! たいへんじゃないか」
「別に、大変じゃないよ。痔の手術するだけだから」
 さらりとそう続けながら、小川は弁当の蓋を開ける。
 幼稚園の時に手遊びでやった、「これっくらいの おべんとばこに」の「これっくらい」に該当するのではないかと思われる、地味な黒い弁当箱である。
 もしかしたら、家に居たときの父親が使用していたものかもしれない。
 サラリーマン風であった。
「でも、一応入院しないといけないから、その付き添い。ついでに、なんか親父が借りてる部屋もすっごい有様らしくて、キーってなって掃除しに行った」
「そっか。たいへんなんだな」
「ん、別に。それで、一週間ほど、おれ、ひとり暮らしってわけ」
「羨ましいぞ」
「いいだろ」
 弁当箱は二段編成だった。上の段にはおかず。下の段には白いご飯。
 ご飯の上には小さな梅干しが半分埋まっていた。おかずは色とりどりとは言い難く、ほぼ茶色だ。九割型、焼いた肉だった。あとの一割はモヤシである。
 男の料理風であった。
「おお、すごいな」
「昨日の夜の残りだよ。売れ残りで安くなってた肉買って、適当に炒めただけだし」
「おお……」
 その言い分もまた、輝いて感じられた。自炊する男である。
 羨望の眼差しで見ていると、小川はやや照れたように、弁当箱をこちらの視界から遠ざけようとした。
「あんま、見るなよ。おれ、料理なんてまともにしたことないんだし」
「なに言ってんだよ、おれだって、まったくしないぞ」
「自慢するなよ。……お袋が、一応、お金は置いてってくれたんだけどさ。でも、おれ、新しいベース欲しくて金貯めてるだろ。だから、食費浮かしてそっちに回そうかなと思って」
 それで、自炊に及んだということだろう。
 母親からしたら不本意なことかもしれないが、しかしどこか恥ずかしげにうつむいてそう語る小川の姿と弁当箱は、きらきらと眩しかった。
「あと、もう少しで買えるんだよな」
「お、おがわ」
「なんだよ、気持ち悪いな、おまえもさっさと飯食えよ、休み時間終わるぞ」
「お、おれも、弁当作る」
「はぁ? なに言ってんだよ、吉野」
「おれも、明日から、弁当を作ってくるぞ!」
 感極まってそう決意する。
 小川はそんなこちらの様子を、どうしてそんな発想になるのかよく分からない、とでも言いたげな表情で見ていた。

 次の日は早起きした。
 普段は食器を片づけることすら自主的にはやろうとしない息子が、異様に張り切って「弁当を作る。自分のだ」などと言い出したので、母親には怪しまれた。
 しかし怪しみながらも、冷蔵庫の食材を提供してくれた。
 料理に関しては、技術も知識も経験も、ほぼ無いに等しかった。そんな息子を見るに見かねて、母親は何度か手助けをしようとしたが、丁重に断った。
 自炊する男になるためである。とりあえず、あいつと一緒に食べる、弁当だけでも。
「……まさか、ほんとに作ってきたのか、弁当」
 呆れ顔の小川にそう言われながらも、誇らしく弁当箱を差し出す。
 中身は、一面茶色であった。豚肉を焼いてタレで味を付けただけである。
 昨日の小川の弁当をリスペクトしてみた。モヤシは家にはなかった。
 今日の小川の弁当には、緑色があった。ブロッコリーが入っていた。
 あんな、どうやったら食べられる段階まで持っていけるのか、見当すらつかないものを入れるとは。
 ますます尊敬に値する。
「ふーん。口だけだと思ってたけど、頑張ったんだな」
「明日も作る!」
「じゃあ、今日、帰りに買い物行くか。うちの近所の店、チラシが入ってたから」
「うん、行く、行くぞ」
 その日は一緒に帰り、仲良くスーパーマーケットで寄り道をした。
 小川が半額の冷凍食品を買っていたので、真似して、だがしかし全く同じものは
 買わないでおく。
 寄り道も、一緒に買い物もたくさんしてきたが、そんな風に弁当に入れるためのものをふたりで選んだり買ったりしていると、なんだか異様に親密になれたような、そんな気がしてくすぐったくも幸福であった。

 次の日は、なんとか朝、起きることが出来た。
 買って帰った冷凍食品で弁当を作って、小川と食べた。
 小川の弁当は、日々、見栄えがよくなる。もともと、勉強でも運動でも、なんでも器用にこなす男だ。料理においても、その手腕を発揮していた。
 ますますいい男である。
 小川を尊敬し、そんな風になれるものならなってみたいと思う心には偽りはない。
 しかし眠気に負けた。
 次の日は早起き出来なかった。朝起きて台所をのぞくと、テーブルの上に弁当箱がすでに待ちかまえていた。急に弁当派に転向した息子のために、有難くも母親が用意してくれたものだった。
「お、まだ弁当だな。意外とやるな、吉野」
 しかし小川がそんな風に言うものだから、つい、言い出せなかった。
 幸い、母親が作ってくれた弁当も、買い込んできた冷凍食品で構成されていた。
 だから、作ったのだと言い張っても、かろうじて、怪しまれないで済んだ。

 そんな日がしばらく続いてしまった。
 小川の母親は、無事、痔の手術を終えた父親のもとから帰還した。
 しかしどうやら、今度は純粋に料理の楽しさに目覚めてしまったらしい小川は、ベースを買うためのセコい資金繰りのことは二の次で、今後も弁当作りを続行する方針を見せた。
 ますます言い出すタイミングを失い、その日も、母親が作ってくれた弁当を自分が作ったのだと偽り、食べるべく蓋を開けた。
 中にはキンピラゴボウが入っていた。夕食の残りではあるが、実を言うと何よりの大好物である。自分で作ったなら、おかず分一段をすべてキンピラにしてもいい。
 そう思うほどであった。
「なあ、吉野」
 さっそくキンピラを食べようとしていた手を、小川の声が引き止める。
「その弁当、おまえが作ったんじゃないだろ」
「えっ、違うよ、おれだよ」
「あのなぁ」
 脊髄反射で咄嗟に嘘を付きながら、なぜここまで必死になるのか……と自分でも不思議に思った。しかし小川は、こちらのそんな必死さなど意に介さず、涼しい顔でさらりと指摘してくる。
「自分で作ってるやつが、そんなに、蓋開けて嬉しい顔するかよ」
「う……」
 それはごもっともな話であった。
 ちがいますとシラを切ろうかとも思ったが、続けてトドメを刺された。
「どうせ吉野のことだから、三日坊主どころか、二日で挫折したんだろ」
 図星である。
「なんで、そんな見栄張ってたんだよ」
「……いいところを見せたかったんだ……」
「なんでだよ。無理して、そんなことしなくたっていいだろ」
「だって、小川はなんでも出来るじゃないか。おれだって、ちょっとは、そんな風になりたいって夢をみたっていいだろ」
「別にいいけどさ」
「それに、もうすぐ、卒業じゃないか。大学受かったら、おれだってひとり暮らししなきゃならないんだ。だったら、少しでも、料理だって出来るようにならなきゃだめだろ」
「別に、吉野は出来なくたっていいよ」
「なんでだよ」
「おれが作るからだよ」
「……ん?」
 なにか、会話の流れで、とんでもないことを、これまたさらりと言われたような気がした。 
「……だから、いいんだよ。別に、なにも出来なくたって」
「そっか」
 しかし、言われてみれば、その通りのような気もした。
 そうだ。別に、自分が出来るようにならなくてもいいのだ。
 小川が、きっと、美味しいものを作ってくれるのだろうから。
 考えたら、ものすごく納得がいった。
「今日、また帰り、ちょっと付き合ってくれよ。冷凍食品が半額なんだ」
「いいけど、おれ、こないだカーチャンに、冷食禁止令出されたんだよ。カーチャンも同じところで同じ日に買い物するから、冷凍庫に入りきりませんって」
「じゃあ、代わりにおれの分買ってよ。今日は全品半額だから、お一人様5点までなんだ」
「それなら、まかせろ」
 得意になってその頼みを請け負う。
 そんなことでいいなら、変装してでも何度でも冷食を買ってやりたい気持ちだった。
 我ながら単純な話である。
 
 ひと口分けてもらった、お手製だという鶏の南蛮漬けは、異様に美味しかった。
 小川の弁当は、相変わらずレベルを上げ続けている。

 美味しすぎて、何故か泣けた。

 



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