鬼さんこちら |
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9 巧介と順が選んだのは、ずらりと並ぶ部屋の中でも、一番広く、窓の大きい洋室だった。 ここはやはり、ホテルかなにかの跡地なのだろうか。二階にある部屋は十室ほどで、その全てが、ベッドとその他の簡単な家具が置かれた間取りになっていた。休憩する場所に選んだこの部屋は、一番奥にあり、他の部屋の二倍は広い。ベッドも、他の部屋がひとつずつしか置かれていないのに対し、ここにはセミダブルだろうと思われる幅のものが、ふたつ置かれていた。 「これなら、四人で寝られるぞ」 ふざけて巧介がそう言うと、やや真面目な顔で、順も頷く。 「そうだな。……もしかしたら、ほんとに、その方がいいのかも。どこかに電話しようにも、電波が来てないし。となると、山を下りるべきなんだろうけど、でも、この天気じゃなぁ。もし、誰にも怒られないなら、借りてもいいかな、この部屋」 窓の外は相変わらず、雨が降り続いている。時折、派手な音をたてて雷が鳴り、その度ごとに窓硝子を叩く雨音が激しさを増す。雨雲が空をすべて覆ってしまっているせいで、部屋の中は、昼間なのに日暮れのように薄暗かった。もともと、あまり日当たりのいい部屋ではなさそうだったが。更にその大きな窓には、分厚いカーテンが二重になってかかっている。それはこの部屋だけでなく、見たところ、他の部屋もすべてそれで統一されているような雰囲気だった。光を通さないためなのだろうそれらのせいで、覗く部屋はほとんど真っ暗だったからだ。 不気味な建物だと思う。けれどそう感じているのは、ぱっと見る限りでは、どうも擁だけらしかった。他の三人は、それぞれ思い思いに、広い部屋の中を見て回ったり、自分の荷物を広げたりして、もう、すっかりくつろいでいる。 埃のたつベッドの上に腰を下ろす。それまで意識していなかったが、そうやって座り込むと、急に疲れを感じた。車に乗っていた時だって、運転はずっと順がしていて、擁はただ座っていただけなのに。それでも、なぜかひどい、気疲れのようなものに襲われる。だらりと力を抜くと、そのまま仰向けに倒れてしまった。 「……擁?」 順に、覗き込まれる。 「疲れた?」 「……、ん」 「そうだよな、朝も早かったし。なんか、変なことになっちゃったし。辛くない?」 「大丈夫だよ」 転がったままで、いつもと変わらず優しい順に、そう答える。順が辰巳と同じことを言うのが、おかしいようでもあり、しかし今ばかりは、何故か不安なようにも思えた。 「まぁ、これも、なかなか出来ない体験だと思えば、うん。……でも、少しでもなにか、辛いことがあったら、遠慮無く言ってよ。出来る限りのことはするから」 「平気だって。釣りが出来なかったり、星が見られなかったり、巧介のカレーが食べられないのは、残念だけど」 そうやって、本来の目的を思い出そうとする。ここでは、何一つ、出来なさそうだった。 「水道もガスも、止まってるっぽいしな」 「電気もだ。電話は探してみたけれど、それらしいものは見つからないな」 廃墟なのだから、それも当然だろう。 「ここ、なんの建物だったのかな?」 「ホテル、かな。別荘かもしれないけど」 「病院という可能性もある」 「病院?」 辰巳のそんな指摘に、擁は思わず身を起こす。もしそうだとしたら、こんな風にたくさん並ぶベッドは、入院するもののためにあったのだろうか。……言われてみれば、そんな風に、思えなくもない。 「こんな山奥に、かぁ?」 「山奥だからこそだ。結核患者用の、療養院だったのかもしれない。ここは山の中で、空気も良さそうだしな。でも、たとえそうでも、昔の話になるんだろうけど」 「病院……だったら、だいたい、どこでも、似たようなもんだよね、間取り」 何気なくそう口にした擁に、ふと、それまで部屋のあちこちを眺めていた巧介が、じっとこちらを見てきた。 「……見覚えでも、あんのか」 その目が、どこか、妙に真剣な光をたたえている気がした。 え、と、擁は口ごもる。そもそも、深く考えず、自然と口をついて出た言葉だったので、何の意味もないつもりだった。それなのに、どうして彼が、そんな怖いような顔を見せるのか、理由が分からなかった。 「ないよ。……ないけど、なんで?」 「いや」 巧介は首を振る。なんでもないけど、と、どこか取って付けたように、そう否定される。 何かが、おかしい気がした。けれども、具体的に、なにがおかしい気がしたのか、分からない。 「結構、こういう所って、映画の撮影に使われたりするって言うしね。おれも、最初入ったときは、いちばんはじめに、映画のセットみたい、って思ったし」 おかしな空気を変えようとするように、順が笑う。 「ああ、そうだよな。おれもそう思った」 それに賛同して巧介もそう続ける。空気を変えようとするように、どこか不自然な明るさで映画の話をはじめたそのふたりを見ていて、ふいに辰巳の先程の言葉を思い出してしまう。 (「おかしいと思わないか?」) ……なにもおかしいことなど、ないはずだ。 (「順と巧介の、どちらとも、あまりふたりだけにならない方がいい」) 何故、そんなことを言い出したのだろう。辰巳の真意が分からない。 そっと、伺うように、窓際に立ち外を見ていた辰巳に目をやる。彼もまた、同じように、静かに擁を見た。 まるで擁が何を考えていたのか分かっているように、ただ黙って、一度小さく頷かれる。 巧介と順は、まだ話を続けていた。いつもと同じような、軽口ばかりの、聞き慣れた遣り取りだ。 それでも、やはりどこか、不自然だった。 空が暗いので分かりにくいが、時間はやがて、正午になろうという頃合いだった。 朝早く家を出て、それから何も食べていない。空腹を感じて、それでもまだ疲れている気がして、埃の立つベッドの上でごろごろと転がる。思考がおかしな方向に進みがちになるのも、食事を取っていないせいだろう、と、そんなことを考えた。 順が、持ってきた荷物から、お菓子を出して、擁にくれた。 「食べるもの、あんまり持ってきてないんだよね。野菜とか、カレーの材料は向こうで用意しておいてくれる話になってたし」 「肉ならあるけどなぁ」 キャンプ場に着いたら焼くつもりで買った牛肉は、当然ながら生だった。買った店で氷を分けてもらい、持ち運びの最中に痛んでしまわないようにクーラーボックスに入れてはいるが、それもあまり、長い時間置いておけるものではなさそうだ。 「ガス、来てないんだっけ。……焼けないね」 「外はこんな天気だしな」 うらめしそうに、巧介が窓の外を見る。天気予報では、一日晴れになっていて、朝は確かに、空のどこを見ても、雲ひとつなかったのに。山の天気は変わりやすいとはいうが。 雨に降られて濡れた洋服は、取り敢えず着替えた。しかし靴は換えを持ってきていなかった。雨が本降りになる前にこの館にたどり着いたので、ずぶ濡れというほどではないが、それでも水を吸って、少し重くなったスニーカーの感触は、あまり気持ちのいいものではない。 靴下ともども脱いで、裸足になる。せめて風通しのいいところに干しておけば、少しは乾くだろうか。 「ちょっと、また、いろいろ見てくるわ」 巧介がそう言って立ち上がる。その指が部屋の扉を指差していた。いろいろ、というのは、この館の中のいろいろ、ということなのだろう。 「何を見にいくんだよ」 「や、まぁ、おれが自分で見てみたいからなんだけどさ。他にもまだ、見てないところあるし」 巧介はいまだに、探検気分でいるらしい。そんな彼の言葉に、順も立ち上がった。 「おれも行こうかな」 「え、順も?」 「うん。明かりになるもの、探しに行こうかなって思って」 「明かり?」 「今はまだ昼間だからあれだけど、夜になったら、電気もつかないんじゃ真っ暗だろ。一応、懐中電灯はあるけど、他にも何か、せめてランプみたいな感じのものが、あればいいけど」 昼間ですらすでに暗いこの部屋が、夜になった時のことを考えてみる。……なにも見えない、一面の、闇だ。思わずぞっとして、その想像を追い払う。 なんとなく不気味なものを感じるこの館に、擁はあまり出歩く気分ではなかった。ここは比較的きれいだし、居心地も悪くない。雨が止むまでここにとどまるのなら、もう、この部屋の中にずっといたい気分だった。自分ひとりでいるならばともかく、この友人たちと一緒にいるのならば、何があっても大丈夫だろうと、そんな信頼もあるからだ。しかし、それなのに、その三人のうちふたりが、行ってしまうというのなら。 残る辰巳は、あまり、興味が無さそうだった。部屋の調度品を指先で撫でて、何事かじっと考え込んでいる。 部屋に残ることを選べば、辰巳とふたりで残ることになるだろう。それは、先程、彼が忠告してきた言葉に従うことにもなる。巧介と順の、どちらかとふたりきりになってはいけない。辰巳の傍を、離れない。 ……もし、その言葉を聞かなかったら、一体、どうなるというのだろう? 得体の知れないその忠告に、どこかうすら寒いものを感じないと言えば嘘になる。けれども、純粋に、それがどういうことになるのか、知りたいと思う気持ちもあった。順も巧介も、擁に、なにか悪いことを仕掛けてくるとは思えない。もちろん、辰巳も、そうではあるが。 だから、部屋を出る準備をしているふたりに、ベッドから立ち上がって、はい、と子どものように手を上げた。 「おれも行く」 「あ、来る?」 擁がそんな風に、なにかに対して積極的な意志を示すのは珍しいことだったので、順が驚いたように、そう聞き返してきた。それに、うん、と頷く。 「辰巳も行こうよ」 「どうして?」 そして、我関せず、といった顔でいる辰巳にも、そう呼びかける。それは擁の、個人的な判断だった。何が起こるのかは分からないけれど、擁にとって、一番安定していて、心が落ち着くのは、この四人でいることだ。だから、ひとりだけ辰巳を残しておくのは、嫌だった。 「巧介は、この建物のなかには他に誰もいないって言うけど。……でも、もし、それでもどこかに誰か隠れたりしてて、その人が、話の通じないような人だったりしたら、危ないだろ。だから、ひとりは、怖いよ」 擁がそう言うと、おれは平気だけどな、と辰巳は笑う。 それでも、何か思うところはあったのだろう。行くよ、と頷き、結局、四人全員で、子どものようにまた館の中を探検してまわることになった。
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