= 15 = 純太に見つからないように、どうやって美由紀に声をかけるか悩んだ。 教室まで行こうにも、彼女は純太と同じクラスだ。放課後、帰るところを呼び止めようかと思ったけれど、部活のある日はそれも難しい。美由紀はバスケット部のマネージャーだから。 悩んだあげく、手紙を書いた。 文字ならば、ぼくの伝えたいことをどうにか表すことが出来る。その日の授業中の時間を使って、ぼくは一日かけて、美由紀への手紙を書いた。何度も書き直して、ルーズリーフを何枚も捨てた。 靴箱の中に入れておけば、純太に見つからないですむかもしれない。分かりやすい場所に、ぼくの名前を書いておいた。以前ぼくに、純太のことを解放してほしい、と言ってきたことを考えれば、きっとぼくからの手紙だと分かれば、そのことは純太には内緒にしてくれるだろう。……あの時、ぼくにそうやって言いに来たのも、純太には内緒の行動だったようだから。きっと、大丈夫だ。そう自分に言い聞かせる。 手紙には、話したいことがある、という事と、ぼくの携帯のメールアドレスを書いておいた。 放課後、部活動が始まっただろう頃に、『どこに行けばいいの?』と一言、そんなメールが届いた。 立ち話もおかしいし、かと言って、学校の中では、いつ誰に見られてしまうか分からない。 ぼくはともかく、美由紀はとても目立つ女の子だから。そんな彼女とぼくが一緒にいるのを見かけた誰かの口から、純太にそのことが伝わってしまうかもしれない。 いい考えが浮かばなくて、実波に相談した。 人と待ち合わせをしたいんだけど、どこかいい場所を知らないか、と尋ねると、彼は大して深く考えた様子もなく、駅の近くのファーストフード店の名前を挙げた。学校からはそれほど離れた場所ではないけれど、この近辺は他の高校も多く、電車を使って通学する生徒も多い。ぼくの学校の生徒が居ないとは限らないけれど、少なくとも、学校の中よりは目立たないだろう。美由紀にメールでその場所を指定したけれど、返事はこなかった。 学校で待っていても仕方がないので、先に店に入った。二階の奥の方の席に座って、とりあえず頼んだオレンジジュースを飲みながら、いろいろなことを考えていた。 「話って、なに」 その声に顔を上げると、ぼくの目の前に、七坂美由紀が立っていた。ぼくを見下ろしてくる、意志の強そうな目。その強い眼差しに怯みそうになりながらも、座って、と、手で示す。手にしたトレイをテーブルに置いて、美由紀はぼくの向かい側に腰を下ろした。トレイに乗っているのは、たぶんアイスティーだろう。美由紀が紅茶が好きなのだと、純太が話していたのを聞いたことがあったのを思い出す。 「話したいことって、なに」 答えないぼくに痺れを切らしたように、美由紀はもう一度聞いてくる。 『純太のこと』と、急いで書いたメモを見せる。美由紀は、そんなことはとっくに分かっている、と言いたげな顔でひとつ頷いた。 「あたしもずっと、ちゃんと春日くんと話したいって思ってたの。だから、それは構わない。だけど」 美由紀はぼくの左隣を、それまでよりも一層尖らせた目で睨む。 「どうして、そいつまでいるわけ」 「なんだよ。別にいいだろ」 「よくない。だいたいあんた、一体なによ。芝山、でしょ。名前は知ってるけど。その芝山が、どうして春日くんの付き添いみたいなこと、するわけ」 話している内容からすれば、この2人がこうやって言葉を交わすのは初めてらしい。二階席はわりあい空いていて、ぼく達のテーブルに目を向けてくる人もいなさそうだった。 「付き添いじゃねぇよ。おれが勝手に着いてきただけ。帰りこいつの家寄る約束してるから」 そんな約束はしていない。否定する意味を込めて隣に座った彼の袖を引くけれど、無視された。 この間買い物に付いてきたように、実波は今日も何故だかぼくの後に付いてきた。 人と会うんだけど、とそう断ろうとした。けれども、その時に、ぼくが心細く思っていることが表情にでも表れてしまったのだろうか。実波は黙って一緒の道を歩いて、一緒に店に入って、ぼくの隣に座った。いつものように、いろいろな取り留めのないことを話してくれたけれど、さすがに今日は落ち着かなくて、あまり実波の話を楽しめなかった。実波の方がそんなぼくを気にしないでいてくれたらいいと思いながら、ただ身を固めて美由紀を待っていた。 ほんとうならば、美由紀をこんな風に呼び出したことを少し後悔し始めていた。喋れもしないのに、話したいことを伝えられるわけがないと、弱気になって逃げ出したい気持ちだった。 そんな中、時折左隣を見上げると、行儀悪くストローを噛む実波と目が合った。 ……それだけのことに、とても助けられた。 ぼくが会おうとしていた相手が七坂美由紀だということに、実波はそれほど驚いた様子もなかった。きっと、ある程度予想できていたことなのだろう。 「……もういい。勝手にすればいい。それで、春日くん」 美由紀は疲れたように、ひとつ息をつく。 「一体あたしに、何を言いたかったの?」 聞かれて、瞬間、思考が止まる。美由紀に話したかったこと。どうしても伝えたくて、分かって欲しいこと。頭の中がぐちゃぐちゃになってしまって、咄嗟にそれを思い出すことが出来なかった。 何故だか、目が自然と、左隣を向いていた。美由紀に相手にされなくなった実波が、退屈そうに、まだストローを噛んでいた。 その弛緩した姿勢と雰囲気に、肩の力が抜けたような気がした。 『純太に、七坂さんから話してほしいことがある』 そう書いて、美由紀にそっと差し出す。伝えたい、ことだ。 「……」 美由紀は黙って、ぼくが書いたその文字を見下ろしていた。 視線はメモに落とされている。じっとそこを見たまま、動かない。けれどもまるで、自分が真っ正面からその大きな瞳に見据えられているような、そんな気分だった。肩に力が入って、思わず、手のひらを握りしめた。 「何、言ってんのよ」 どれだけ押し黙っていただろうか。やがて彼女が顔を上げた。変わらない強いその目が、ぼくを鋭く見つめる。 「いまさらなに言ってんのよ!」 そう言って、美由紀は平手でテーブルを叩いた。カシャンとカップの中の氷が鳴る。実波が、怖ぇの、と小さく呟いて、美由紀に睨まれる。 『今更』。 それは、ぼくも、そう思うけれども。 『七坂さんは、ぼくのこと、どんな奴だとおもってるの』 文字にして尋ねるから、どうしても遣り取りに間隔が空いてしまう。そのことが、余計に美由紀を苛立たせているようだった。 「嫌な奴よ。純太を自分だけのものにしておきたいんでしょ。声が出ないからって、そのことを理由に、いつまでたっても純太を自分ひとりのものにしておきたいんでしょ! 春日くん、あなたはね、ワガママで、嫉妬深くて、甘ったれの最低なやつよ」 一息でそう言い切って、美由紀はもう一度テーブルを叩いた。その手はほんとうは、ぼくを打ちたいのだろう。これまで内に閉じこめていたぼくへの苛立ちを、一気にすべて投げつけようとしているように、美由紀はまたすぐに口を開く。 「あたしのことだって、そう思ってるんでしょ。いつも純太から聞いてるんだから。あたしなんかどうでもいいって、はやくいなくなればいいって、いつも純太にそう言ってるんでしょう!」 そんなことは考えたこともない。ましてや純太に言う、なんて。 美由紀が以前、教室で泣いていたことを思い出す。どうしてそんなことを言われなくてはいけないのか、と、そう悔しそうに呟いていた。それを純太が、優しく慰めていた。わからない。分かりたくない、ことだけれど。 ぼくは純太にしか、言葉を向けてこなかった。他の誰にも、自分のことなど伝えたりしなかった。 だから、ぼくについて、誰かにそんな風に言える人がいるとしたら。……それはやっぱり、ひとりしかいない。 「あのな」 呆れたように、割って入ってくる声があった。実波だ。 「こいつに、人のことをどうこう言う余裕なんてねぇと思うぞ」 「芝山は黙ってて!」 ぼくのことを弁護してくれたのだろうか。実波のその言葉も、美由紀の鋭い声で跳ね返されてしまう。 怖ぇの、とまた呟いて、実波は小さく肩をすくめた。……ほんとうにこの男は、この場にいて、何をしたいのだろう。実波の気持ちが分からない。 考えていても仕方がない。そして、ただ身を固めていても、何も起こらない。 『七坂さん』 メモ用紙を一枚破って、ペンを取る。 かつてぼくは、ただ黙っていればいいと思った。ひたすらに口を閉ざしていれば、もうあんな目には遭わないでいられるのだと、そう思い続けてきた。確かに、そうかもしれない。夢に見てしまうことは変わらないけれども、もう、あんな風に痛いことはなくなった。 けれども、それがほんとうに、正しいことなのか。……ちがう、正しいとか間違っているとか、そういう問題ではなくて、そうではなくて。このままでもいいのか。 声は出ない。ぼくが口を開かなければ、永久に声は出せない。 『ぼくが、話すことができなくなった理由を、純太からきいてる?』 そう書いたメモを差し出すぼくの手が、少し震えた。美由紀がすべて知っているのかもしれないと、そう思うと苦しかった。ほんとうは、純太がそのことを知っているのも嫌だった。あんなことについての記憶は、ぼく以外の誰にも持っていてほしくなかった。 「……子どもの頃」 彼なりに不満を表現していたのだろう、わざとらしく音を立ててカップの中の氷を噛んでいた実波が、ふと静かになる。美由紀の言葉を聞き逃さないように、だろうか。思わず、左を向いて彼の両耳を塞ぎたい衝動に駆られた。嫌だ。いやだ、実波にまで、知られたくない。 待って、と、美由紀を制止しようとしたけれど、間に合わなかった。 「誘拐、されたって」 それまでただひたすらに強く、ぼくを真っ直ぐに責めてきたその声は、少し揺らいでいた。どうしてそんなことを言わせるのか、と不審に思っているようでもあり、また、そんなことを知っている自分を恥じているようにも聞こえる揺らぎだった。 左隣から、小さく、何かがぶつかる音が聞こえた。実波が噛んでいた氷を落とした音だろうか、と、妙に耳だけが冷静にその音をとらえた。 「それで、とても怖い目に遭った、って。……それだけ」 そこまで言って、美由紀は黙った。 ……ああ。 それを聞いて、心の中に、いつでも思い浮かべてきた姿を思う。 純太。 そっと、浮かべたその像に向けて、ありがとうと伝えたかった。純太がほんとうにぼくのことを嫌いならば、きっと、全て美由紀に話していただろう。ぼくのことが嫌いならば、そのことすらもきっと、ぼくを嘲笑う理由になるだろうから。けれども純太は、そこまでしか教えていないようだった。……よかった。 小さく息を吐いて、少し安心する。 けれども美由紀は、ぼくのその仕草に、怯えや怒りのようなものを感じ取ったのだろうか。慌てたように、こう付け加えてきた。 「でも、詳しくは聞いてないから。純太も話すのを嫌がってたのに、あたしが無理矢理、どうしてもって聞きたがっただけなの」 気にしないで、と分かってもらうために、首を振る。いい人だと、そう思った。 聞きたいことはそれだけだった。だから、今度はぼくの番だ。 『ぼくは七坂さんと純太のことに反対なんてしていない』 傍らの実波には、ぼくたちのこの会話は、どういう風に受け取られているのだろうか。事情を知る彼ならばともかく、窓際の席に座っている女の子ふたりに、美由紀の声が聞こえたりはしないだろうか。 「……うそよ」 聞こえていなければいい。ぼくが喋ることができないから、そのせいで、美由紀ひとりが声を響かせなければならない。その様子は端から見ている人には、どうしても少しおかしなものに見えてしまうだろうから。……そんな視線に彼女を晒してしまうことを、申し訳なく思った。 『七坂さんが純太のことをすきで、純太も同じなら、ぼくが反対するようなことじゃない』 「嘘よ、どうしていまさら、そんな風に言ってくるわけ。そんなの、あたしじゃなくて純太に言いなさいよ。純太はずっと、あなたに付きまとわれてうんざりしてたんだから」 純太には言った。もう何度も、そう伝えてきた。 それでもそのつど、ぼくのその言葉は、純太自身によって打ち消されてきた。 『純太はずっと』 美由紀にそのことを言っても、信じてはもらえないかもしれない。ほんとうのことなのに、こんなにも力のない事実を苦々しく思う。 『ぼくに、そんなことはいわなかった』 「そんなの、言えるはずないでしょ! 春日くんは喋れないんだから。そんな人に、付きまとうななんて言えるわけないじゃない」 ぼくが文字を懸命に書く間、美由紀はずっと、ぼくのその手元を見てきた。ぼくの言葉を待っていて、一時でも早くそれを知りたいとでも言うように、書くたびに一文字一文字を拾い上げられているようだった。 『そういうことじゃない』 「なにが違うって言いたいのよ」 手が止まる。美由紀に分かって欲しいのに、そして純太にぼくのことを分かって欲しいのに、うまくいかない。なにが違うのか、ぼくにも分からないけれど、美由紀は勘違いをしている。ぼくが彼らふたりを引き離そうとしているなんて、そんな風に思われているのは哀しかった。 言葉が見つけられないでいるぼくを、美由紀は挑発するように、ただひたすらに見つめてくる。 はやく答えなさいよ、と、その大きな目にそう急かされると余計に気持ちが乱れて、うまく考えることが出来なかった。 「七坂、おまえちょっと、頭冷やせよ。川里なんて、あんなやつ、どこがいいんだよ」 余計な口を挟んだ実波の腕を、軽く叩く。その声を聞いた途端、それまで動かなかった身体が自由になった、ような気がした。口にされた言葉は、あまり気持ちの良いものではなかったけれども、それはもしかしたら、美由紀に対して答えられないでいたぼくを見かねてのものなのだろうか。 「なんだよ、おまえまで」 腕を叩いたことに、そう不満そうな顔をされる。その顔が、せっかく助けてやったのに、と、そう言っているようにも見えた。心の中だけで、そっとそのことを覚えておこうと思った。 『純太のことをわるくいわないで』 そう書いて、そのメモを実波に差し出す。 「……おまえも頭冷やせよ、春日。今のおまえらの話を足して2で割りゃ、ちょうどよくなるんじゃねぇの」 彼はそれを見て、盛大なため息をついた。 「ひとり嘘つきがいるんだよ。そいつのせいで、何が本当なのか分かんなくなっちまってるんだ」 嘘つき、という単語に、美由紀がまた、実波を睨んだ。それを気にした様子も全く見せずに、彼は続ける。 「いいか、村八分だ」 実波は突然、村の話をはじめた。 きっとその言葉を出された時のぼくと美由紀の顔はよく似ていたのだろう。実波は順にぼくたち2人を眺めたあと、一度ため息をついた。 「例え話だからな。村人Aがいるとする。村人Aは根暗で人間不信で、あまり人と会話したりしない。そんな村人Aに、他の村人についてこう言ってくるやつ、ただひとりの友人Bがいたとする。『この村のやつは皆、悪い毒を持っていて、それでおまえを殺して、財産をいただこうと狙っている。だから近づいたら危ない』。村人AはBの言葉を信じて、他の村人を恐れて近寄らなくなる」 実波が、村人A、と口にするたびに、ぼくの方をちらりとうかがうような気がした。その目がいつものような、意地の悪いものだったように感じられた。……実波はぼくのことを、根暗で人間不信だと思っているのだろうか。話の内容とは関係のない、その箇所がやけに心に引っかかってしまった。 ぼくの内心を知るわけもなく、実波は村人の話を続ける。 「そして村人Bは、他の村人たちにこう言って回る。『村人Aは頭がおかしい。近づいてくるやつは皆自分の財産を狙っているのだと思い、いつでも懐に刃物を隠し持っている。少しでも近づく奴がいたらそれで殺すつもりだ。だから近づいたら危ない』。村人その他は村人Aを恐れ、近寄らなくなる」 そこで実波は言葉を句切り、ぼくと美由紀のことを、左右の手で指差してきた。 「自然と、互いを避け合う状況が出来上がる。……村人Aの傍には、村人Bだけが残る」 ぼくと、美由紀が相手に近づきたくなかったように。ぼくはただ純太のそばにいることだけを望んで、美由紀はそんなぼくのことを、ひどく憎んだ。そういう風に、上手に導くものがあったから。 「それが出来るのは、どう考えたってひとりしかいねぇだろ」 村人Aが誰なのか、実波は具体的にそれを口にしようとはしなかった。美由紀のことなのか、あるいは、ぼくのことなのかは分からない。けれども、村人Bならば、分かる。 それは美由紀も同じようだった。 「どうして? どうして純太が、そんなことするの」 「さぁね」 もう面倒臭い、と小さく呟いて、実波は欠伸をする。美由紀が村人Bの行動の理由を問いただしても、それまで答えてくれるつもりはないようだった。 「じゃあ何なの」 美由紀も、そう悟ったのだろう。ぼくがあの時、廊下で彼ら2人の会話を聞いてしまった時のように、彼女の心の中で、記憶と、たった今聞いてしまったものが互いに音をたてて弾き合っている。どちらかがほんとうならば、どちらかは必ず嘘になる。 美由紀の目が、ぼくを見る。そこには今までのように強い光はなくて、まるで、潤んだ水が溢れそうな水盤のように、危うさに満ちて見えた。 「あたしは、ずっと、嘘を付かれてたって言うの……?」 ぼくもあの日、こんな顔をしていたのかもしれない。この顔を、実波に見せてしまったのかもしれない。 あの時実波は、みっともなく泣いてしまっているぼくに、ただとても優しく触れてくれた。……その気持ちが、少し、理解出来たような気がした。 ぼくは思わずペンを取った。 『純太が七坂さんをすきなのは、ほんとうだよ』 急いで書いたから、とても汚い字になってしまった。突きつけるようにそのメモを美由紀の前に差し出すと、美由紀は一度その大きな目を瞬かせた。驚いたのかもしれない。 誰も、何も言わない。ぼくたちの他にも人はいるのに、店の中には音楽だって流れているのに、何も耳に入ってこなかった。 その静けさの中にぼくの伝えたいことまでもが埋もれてしまわないように、ペンを走らせる。 『だって、でんわのこと、とてもうれしそうにはなしてた』 思っていることを声に出して、次から次へと何もかも伝えてしまえたらいいのに。そうすれば、目の前でこんなに哀しそうな顔をしている彼女のことだって、少しは慰められたかもしれないのに。こんな汚い字で、ひらがなばかりの子どもじみた言葉ではなくて、もっと、優しく出来るだろうのに。 ほんとうに純太はあの時、嬉しそうな顔をしていたから。なんで女ってあんなに喋ることあるのかなって、そんな風に少し迷惑そうに言いながらも、表情はとても、幸せそうだったから。 『七坂さんとのでんわのこと、ぼくに言うとき、とてもうれしそうだったよ』 だから、そんな顔をしないでと、そう伝えたかった。 『ぜったい、うそじゃないよ』 美由紀はぼくの書いたメモをにじっと目を落としていた。 やがてうつむいて、そのまま小さく、かろうじて聞こえるような声で、ごめんね、と、そう呟いてくれた。
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