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本編後の話 |
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「大きいか、小さいか」 二つにするか三つにするか悩んで、多いに越したことはないと三つに決めたところ、財布の中身が少しばかり足りなかった。なにがいいたいのかというと、結局、二つしか買えなかったということだ。 これからは悩む前に手持ちを確認しよう、などと考えながら古い木戸をくぐる。 この屋敷に出入りする時は、自分の立場のことも考えて、いつも正門ではなく裏口を使わせてもらっている。それでも、離れにまっすぐ向かうのではなく、なんとなく庭を、母屋のある方角に通って行くことにしていた。わざわざ声を掛けたり呼び出したりはしないが、家の人がいたら挨拶をするようにしている。 自分と同じ歳でありながら、すでにこの大きな屋敷の主である友人は、ちょうど、縁側を歩いて厨房の方へ向かおうとしているところだった。最近ではそんな格好を見かけることも増えた、深緑の袴姿で、両手で供物台を持っている。時間を考えると、夕方の祈祷の準備をしているところだろうか。 同時に向こうもこちらに気付いたらしく、足を止めて、ああ、と、小さく応じられた。 「捧なら、いまは離れにいるはずだ」 この家の当主である花羽未月は、同時に、神主でもある。これは花羽だけではなく、対になる黒い家についても同じらしい。ただ、神主とはいっても、一般の人々にひらかれているわけではなく、一族の人間や、古くからつきあいのある者たちの間にしか伝わらない神様だから、厳密に言えば、通常の神職とは違うらしかった。 捧はいつも、神主としての未月の仕事の手伝いをしている。彼は神様に愛されているから、何もせずにただ其処に居るだけでも十分な存在なのだという。理解できるような、妬けるような話だ。コウもどちらかというと、そちら側に近いと未月は言うが、祝詞を聞いているといい感じに眠たくなるので、たぶん、違うのではないかと思う。 「あのさ」 未月は近頃、顔を合わせるたびに、表情が大人びてきている。あの刺々しい、いつも何かに怒っていたような張りつめた雰囲気が、いまはない。状況が状況だけに、仕方がなかったのかもしれないが、コウが知り合ったばかりの頃とは、まるで別人のように落ち着いている。特に今日のように袴姿だと、凛とした風格のようなものすら感じた。とても、同じ歳とは思えない。 「たい焼き買ってき……」 きたから、もし嫌でなければ一緒に食べないかと誘おうとしたその言葉が、途中で途切れる。こちらが手にした袋を見て未月は、中身はなんだと確認するように一度、縁側から庭におりてきた。中途半端で言葉が切れたのは、その相手と目線が並んだ時だった。ふと、これまでに感じたことのない違和感をおぼえたのだ。 未月は、それを特に不思議がる様子もなく、わかった、と頷いた。 「あとで行く」 何事もなかったようにまた縁側に戻り、屋敷の奥へと消える背中をぼんやりと見送ってから、ようやく、先程の違和感の正体に気付く。 「未月の、背が伸びていた?」 繰り返す捧の言葉に、そう、と頷く。出会い頭にそれを報告したコウに、彼は不思議そうな顔をした。 「……おれは気が付かなかったな」 おみやげ、と手渡した袋を大事そうに受け取りながら、そう言って目を細められる。 「いつも顔を合わせていると、分からないんだろう」 「捧さんのほうが目線が上だから気付かないんだよ。おれは、ついこないだまで、ほとんど同じだったから」 先週はまだ、そんなことがなかった気がするのだが。たぶん未月とコウでは、身長は同じか、あちらの方が少し低いくらいだったはずだ。それが、さっき横に並ばれて、気のせいではすまないくらいに差ができていた。いつの間に、あんなに伸びたのだろう。コウも、特別低いわけではない。たぶん、平均か、それに少し足りないくらい、はあるのではないかと思う。そもそも、これまでは、あまりそんなことを気にしたことがなかった。 「いいなぁ」 それでも今は、そんなことが自然と口をついて出た。 いつものように、きれいに膝を揃えて座る捧の隣に座る。少しずつ、日が長くなってきている。以前はわざと手を入れていなかった離れの周りも、最近は庭師が入って美しく整えてもらうようになった。離れの縁側に並んで、庭を見ながら何をするでもなく夕方の時間を過ごすのが、ふたりの日課だった。年寄りのようだと未月には馬鹿にされる。 「コウは、もっと背が高くなりたいのか」 「別にそういうんじゃないよ。……でも、もうちょっとくらいとは思うかな」 よく寝ているし、食べ物だって好き嫌いはない。子どもの頃からこの生活は変わらない。伸びる要素はあったはずなのだが。 「おれのおとうさんも、背は高かったはずなんだけどなぁ」 捧は何も言わずに、いつものように微笑んでコウの話に耳を傾けている。たい焼きは、未月が来るのを待ってから食べることにした。二つしかないから、未月にひとつあげて、コウと捧でひとつを分ければいいだろう。 「コウは、いまの大きさがいちばん良い」 「じゃあ、おれも未月みたいに急に伸びたら?」 「そうなったら、その大きさがいちばん良いと思う」 「なんだよ、それ」 真面目な顔でおかしなことを言う。結局なんでもいいんじゃないか、とコウが笑うと、捧も笑った。 「……ああでも、やっぱりもうちょっと、大きくはなりたいかな。全体的に」 「全体的」 「もっと力をつけたいというか。捧さんのこと、何かあった時に担いで走れるくらいにはならないと」 「何かあった時?」 「たとえば、火事とか」 捧は足が悪い。普段の生活に不都合をきたすほどではないが、走るのは難しい。早足で歩くのも、長い時間は無理なはずだ。だから、急いで逃げなければならない事態に陥ったときに、コウがそれを助けなければならない。 「担いでくれるのか」 コウの言葉に、捧は何か考えているような様子だった。具体的に、想像してみているのだろうか。コウも考えてみた。背負ってもらったことならば何度かあるけれど、逆は、どうだろうか。捧は背もあるし、痩せて見えるが結構しっかりした体つきをしている。そのことは他の誰より、コウがいちばんよく知っている。 体格差を考えると、簡単ではないように思えるが。 「やってみよっか」 「いま?」 そう、と頷く。これまでやろうとしなかっただけで、案外、出来るのではないかという気もした。コウだってまるきりひ弱なわけではない。捧の手を取って立ち上がる。彼は不安そう、というよりは、これから何が起こるのか、と少しばかり期待するような顔をしていた。 「コウ、無理はしないで」 「大丈夫」 膝をついて、背中から抱くように、腕を回してもらう。だいじょうぶ、ともう一度繰り返して、下半身に力を入れて、そのまま立ち上がろうとした。 夕拝を終えた未月が離れに顔を出したのと、なにやら大きな物音がしたのとはほぼ同時だった。どさりと重たいものが落ちた音と、妙に間の抜けた、うわーという悲鳴らしきものに、眉をひそめて近づく。 「なにをやっているんだ、二人して」 嫌味ではなく、純粋に分からなかったのでそう尋ねる。コウと捧は、離れの縁側前の砂利の上に転がっていた。コウは頬に砂利の粒を貼り付けたまま、痛たたと腰を押さえて、一方で捧はそれを大丈夫かと支えながら、それでも押さえきれぬ様子で、珍しく声を立てて笑っていた。落ちた衝撃で眼鏡が激しくずれて、着物の襟も乱れている。いつも涼しい顔をしているこの男がこんな風に子どものように笑うのは、非常に珍しいことだった。 やっぱ無理か、と悔しそうに呟きながら、コウは頬に付いた砂利を剥がしていた。 「お湯?」 「白湯」 たい焼きは二つしか無かったらしい。未月にひとつ寄越したあと、コウは残りのひとつを、何故か横ではなく縦に半分にして捧に渡していた。食べにくいのではないかと思ってそれを見ていたが、ふたりとも、特に気にする様子もなさそうだった。 捧が出した湯飲みを受け取って、中身を一口含んだコウが、不思議そうに尋ねる。 「お湯じゃなくて?」 「白湯だよ」 「? お湯だろ」 「そうだな」 よく分からない遣り取りをしている。茶道具一式もあるのに、何故わざわざ白湯を出すのか、気にならないでもなかったが、敢えて聞くのはやめておいた。 「未月、身長伸びただろ」 細長いたい焼きを囓りながら、コウがそんなことを言ってくる。急に言われても、測ったわけではないからなんとも言えない。 「たぶん、それほど変わってはいないとは思うが」 「そんなことないって。この歳になっても伸びるやつは伸びるんだな」 その口ぶりに、珍しく羨ましげなものを感じる。ひとのことにも自分のことにもあまり興味のなさそうなコウが、そんなことを言ってくるのが意外だった。未月が変わったように見えるのならば、それと同様に、捧もコウも、これまでとは少しずつ、変わっているのかもしれない。 「おまえは身長以前に、基本的に姿勢が悪いんだ」 そう指摘すると、そうかなぁ、と、ぼやくようにコウが小さく声を上げる。捧は捧で、またよく分からないことを言い出した。 「火事が起きないよう、祟堂様に火伏せの御札を授けていただこう」 一族の人間を根こそぎ滅ぼす力を持つ祟り神に、火の元安全を乞うというのも妙な話ではある。 「身長も、祈願したら伸びるかもしれないぞ」 「……ほんとに?」 冗談のつもりで言ったのに、案外、真面目に受け取られてしまった。罰当たりが、と返す。 コウよりも先に、捧がそれに笑った。
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