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3章「糸」 7.檻の中の雪 / 檻の外の八木、捧と会話を試みる 
「何も出来ないのなら」

 まさかまたきみの顔を、こんなにすぐに見ることになるとは思わなかったな。

 未月くんは不自由はさせないって言ってたけど、大丈夫?
 そう。
 本? それはいいけど、少し暗くないかな。
 目が悪くなるよ。
 おれも、似たようなことしててかなり視力が落ちたし。
 ううん、一応眼鏡も作ってはあるけど、コンタクトを入れてて、……そうそう、硝子のようなもの。
 痛くないよ、別に。慣れてしまえば、そんなもの、入れてることも忘れる。
 他にも、何か、聞きたいことは無い? 

 そうだね。彼の話をしようか。

 あの子から聞いたかもしれないけど、おれは牧丘の家の居候なんだ。
 下宿って分かる? 
 そう、部屋を貸してもらう。
 それだけじゃなくて、澄子さん、……コウくんのお祖母さんに当たる人なんだけれどね。
 その人には、おれも、小さな頃にお世話になってて。
 だからかな。今でも、ほんとうの家族みたいに接してもらってる。
 優しくて、とても良く出来た人だよ。怒ると怖いけどね。
 コウくん?
 ううん、あの子はほとんど怒られたりはしなかったんじゃないかな。
 素直で大人しい子だし。それに何より、コウくんは善悪というか、物事の判断基準を澄子さんに教えられた通りに受け入れてるんだと思う。
 自分の感情よりも、そっちの方が先になるというか……。
 だから、家だけじゃなくて、学校とかでも、特に問題を起こすようなことはしなかったよ。
 おれが知らないだけかもしれないけどね。
 それでも、お祖母さん思いの子だからね。
 澄子さんが悲しむようなことはきっと、しないと思う。

 だから、今度のことには、正直驚いている。

 きみと彼が、どんな出会い方をしたのか、聞いたほうがいいのかな。
 ……やめておこうか。なんだか、複雑な気持ちだし。
 いや、分かってるよ。きみが本気なのは。
 あの子のほうも、それは同じだろう。

 なにに驚いたのか、って?
 そうだな。自分の考えの浅さかな。
 もうちょっと、彼のことをちゃんと見ておくべきだったと今は思ってる。
 今更、遅いけどね。
 さっきも言ったけど、あの子はお祖母さんの言うことをよく聞く、大人しい子だった。

 『蜘蛛』と呼ばれる男とは、面識はあるのかな。……そう。
 まあ、当然だよね。きみはこの家にとっても、あの家にとってもすごく重要な存在だから。
 でも、知っているなら話は早い。

 その『蜘蛛』が、ずっとあの子のことを護ってくれていたのだと、おれは思う。
 本人……人じゃないのなら、その言い方はおかしいのかな。
 とにかく、あの子がこれまで、普通に暮らせていたのは、何らかの力のおかげだ。

 おれは昔、あの子がほんの赤ん坊の頃、一緒に暮らしていた。
 ……どういう子どもだったかって? 可愛い子だったよ。今もそうだ、って、まあ、そうかもしれないけど。
 よく笑って、人懐っこい子だった。
 今もそう?
 そうかな……きみにだけかもしれないよ。
 
 『蜘蛛』は、その当時から、牧丘の家に何度かあらわれていた。
 あの子、というよりも、あの子のお父さんに会いにね。
 その人が心配そうにしていたのを聞いたことがある。

 この子にも自分と同じような役目が課せられているんだろうか、って。

 細かい話の内容は覚えていない。
 そもそも、何を言ってるのかよく分からなかったし。
 ただ、それに『蜘蛛』が、大丈夫、とやけに軽く笑っていたのだけは覚えている。

 こうして生まれてきたのだから、それは何らかの役目が課せられている証拠だ、だから無事に育つよ、なんて。
 心配そうな顔の人に対して、ずいぶん軽い調子で言うから、子ども心に不信感を覚えたな。
 
 その『蜘蛛』が、あの子のお父さんに約束していたんだ。
 この子が自分から近づかない限り、「狩り」の一族はその存在に一切関与しない、と。

 おかしな話だとは思う。だって、実際、雨夜のあの男は、事の次第をすべて知っていたわけだから。常識が通じるような相手ではないのは、分かってるつもりだけど。
 それでも、ただの口約束だけで大人しくするような人間でもないだろうし。

 ……そうだね。きみの言う通りだろう。
 関与しない、じゃなくて、たぶん、「関与出来ない」だったんだろうね。

 だってそれを聞いて、あの子のお父さんが、とても安心したようだったから。

 だから、おれは安心していた。
 あの子はこの年まで、何の問題もなく成長したし、ふたつの家からの干渉らしきものも、なにも無かった。

 それになにより、成長した彼は、自分から何かに、積極的に関わろうとするような子じゃなかった。

 もし何か、そんな切欠があったとしても、おれや祖母の澄子さんが止めろと言えば、素直に止めてくれるだろうと、そう思っていた。
 見くびっていた、という言い方は不適切かもしれない。
 けれど、それが本音だ。

 あの子の無気力さと、何も起こらずにきたこれまでの時間に、すっかり油断していた。


 悲しんでいるか、って?


 何に? おかしなことを言うんだな……彼の変化に? どうだろう。戸惑いはしたけど。
 悲しくはないよ。
 おれの方こそ、きみには謝らないといけないんじゃないかな。
 おれがしっかりしていないせいで、きみにも心配を掛けたようだから。
 ……ありがとう。おれは大丈夫だよ。

 呪いとか、祟りとか、おれはそういうのとは、まったく無縁の立場だけど。

 でも、きみを見ていると、あの人を思い出す。
 血のつながりは……そうか、あるのか。たぶん、そう遠くはないんだろうね。

 きみはあの人に、とてもよく似ているよ。
 顔とかそういう見た目の話じゃなくて、なんて言うのかな……空気とか。
 だから、きみと最初に牧丘の家で顔を合わせた時にも、そちらにばかり気が取られてしまった。
 あの時おれは、驚いた顔をしていた?
 そうだろうね。
 驚いて、だけど、同時に納得もしたよ。

 そういう相手があの子に現れるとしたら、きみ以外有り得なかっただろうなって。

 他にも、なにか聞きたいことはない?

 澄子さん? うん、いまは外国にいるけど、もう直に帰ってくるよ。
 あちらのご家族に、一緒に住まないかって言われてるみたいだけど、その気はないんじゃないかな。あの家が気に入っていて、離れたくないみたいだし。
 それに、帰ってきて、あの子の様子を見たら、ますますそんな気もなくなると思うけどね。
 きみのこともあるし。

 交際を認めてくれるかどうか? そんな心配をしてたなんて、意外だな。
 いや、悪い意味じゃなくて。
 前向きでよろしい。


 ああ、話が終わったみたいだ。
 それじゃあ、おれも戻らないと。


 ……最後のその件については、まぁ、大丈夫なんじゃないかな。
 たぶん、きみをひと目見るなり、澄子さんも納得すると思うよ。
 おれみたいに。

 そうね、コウは小さい頃、おとうさんのことが大好きだったものね、ってさ。





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