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ななつめちぎり
ひとつめ
6

 診療所の周辺では、ネットが使えた。定期連絡をするように、と言われていたので、兄の修次に「無事につきました」とメールを送っておく。ついでに、まっすぐ伸びる島のメインストリート(らしい)の写真を撮って、添付する。
 現在では、島で唯一のスーパーマーケットなのだという「うおぬま商店」という看板が出た店を教えてもらう。店内は紘人の知識としては、コンビニぐらいの広さだ。木造の、少し強い風が吹いたらまるごと飛ばされそうな、やや傾いた風情のある建物には、明かりというものがなかった。そのため、夏の明るい昼間でも、店の中は薄暗い。夜には閉めてしまうから、設置する必要もないということらしかった。
 うおぬま商店は、なんと無人販売の店だった。
「祭りの時期だけ、島の外に出ているみたいだね。残った人が、商品の陳列だけして、あとはおまかせらしいよ
 買う人がお金を置いていく、という、都会ではとても考えられないようなシステムらしい。店の中は一応、空調もきいている。床に置かれたダンボール箱の中には、野菜がごろごろと詰め込まれている。1ケ100円、と素朴な文字で書かれた紙が貼られていた。きゅうり、なす、ズッキーニ、トマト。静真が箱の前に身をかがめて、野菜を手に取る。
「夕飯、カレーにしようと思うけど、それでいい?」
「大好きです」
 静真が野菜を選んでいる間、紘人も自分の買い物をすることにする。傷心旅行のつもりで、旅に出る準備はある程度してきた。足りないもの、と考えて店内を見回し、お菓子を買っていくことにした。あまり種類も量もなかったので、控えめにいくつか手に取る。料金の計算をして、お金をカウンターに並べる。
 買うものを選び終えた静真と一緒に、自分で袋詰めをする。
「今日は船が来た日だから、商品もたくさん並んでるね」
 欲しいものが全部買えたのか、嬉しそうに静真が言う。紘人にとっては、寂しい感じすら漂う店内だったけれど、どうやら、これでも充実しているらしい。
 静真はこの島について、いろいろと知っているようだ。普段は東京に住んでいると言っていたから、こんな風に、休みの時によく訪れていたのだろうか。
「静真さんは、この島に親戚とかがいるんですか」
 矢佐先生とも親しげな様子だった。思ったままに尋ねると、いないよ、と穏やかに首を振られた。
 店を出る。木の引き戸を閉めて、もと来た道をふたりで歩く。紘人は借りた枕と本と、買い物をしたお菓子を入れた袋に、更に提灯を持って歩く。大荷物になってしまった。
 時間はもう夕方にさしかかっていたけれど、夏の陽は長い。まだまだ、提灯の出番はなさそうだった。
「俺も篤史も、この島には何のゆかりもない。矢佐先生とも、ここに来て初めて会ったし。そんな風には見えない?」
 静真は手に、野菜を詰めたビニール袋をひとつと、提灯を下げている。まだつける必要も感じられないのに、明かりが必要なひとがするように、道を照らすかたちに掲げられていた。
「いろんなこと、よく知ってるから」
 そんなつもりではなかったけれど、何故か妙に、聞いてはいけないことを聞いてしまったような気になる。悪気があって言ったことではない、と伝えたくて、すみません、と小さく頭を下げる。
 頭を下げた絋人を見て、静真は笑う。
「そうだね。……ななつめ様のこととか?」
 まさに、絋人が聞きたいことだった。不思議で、どこか不気味な響きを持った、神様の名前。
「ななつめ様はこの島の守り神らしいよ。俺も、矢佐先生から軽く教えてもらった程度だけど」
「じゃあこれは、その神様のマークなんですか?」
 提灯を掲げて見せる。目玉を象っていると思われる、丸い文様。診療所の窓口に置かれていた、祭りのためだという木箱にも、同じものが描かれていた。守り神、というからには良い神様なのだろう。モチーフが目玉だから、どうしてもおどろおどろしく見えてしまう。
「ななつめ……七つ目?」
「ひとの目玉が大好きな神様なんだってさ」
 大好きとはどういう意味だろう。紘人が白いはんぺんが大好きで、冷蔵庫に入っているのを発見しただけで嬉しくなってしまうのと同じだろうか。だったら、それはほんとうに、良い神様なのだろうか。
 背中に、すっと冷たいものが走る。怖いことを想像してしまった紘人の顔を見て、静真は声をたてて笑った。
「言い伝えだよ。大丈夫」
 おかしそうに、笑いながら言われる。……もしかして、軽くからかわれたのかもしれない。
「ななつめ様はその昔、目玉が八つある、ヤツメという悪い神様だったらしい。そのヤツメを力の強い巫女さんが懲らしめ、目玉をひとつ奪うことで、もう人間には悪さをしませんと約束をさせた。八つ目から七つ目になった神様は『ななつめ様』になり、島とそこで暮らす人々を守る良い神様になりましたとさ」
 めでたしめでたし。そう言い結んで、話は終わる。
 それが、言い伝えなのだろう。日本昔話でよく聞くようなたぐいの話だと思った。静真は、姿が良いだけでなくて、声もとても男前だ。その声で聞かされたせいか、余計に、そう思わされてしまった。
「じゃあ、暗くなったら危ないっていうのは?」
「さあ、どうしてかな。ひとつ奪われた目玉を取り返そうとしてるのかもね」
「ううう」
 またしても、怪談にされてしまう。紘人は身をきゅっと縮めてしまい、静真に笑われる。怖い話は苦手だった。夏につきものの心霊番組など見てしまった夜は、トイレに行く時、猫のネルを連れていくことにしている。いまは、ネルもいない。毛の長い、ふわふわとした感触を思い浮かべて、ふと心細くなる。
 紘人が怖がっている様子を見て、ごめんごめん、と静真は謝ってくれた。

 出かける前に干しておいてくれた布団を取り込み、借りた枕をその上に乗せる。
 ここを使ってね、と言ってもらった部屋は、6畳の和室だった。畳み敷きの、布団以外なにも置かれていない部屋。壁紙があちこち剥がれていて、天井から下がっている電気も古びていたけれど、不思議と落ち着く雰囲気があった。
 寝る前に読もう、と枕元に借りた本を置いておく。オレンジ色と、黒が目立つ表紙には、よく見ると人間らしきものと一緒に、髑髏の絵があしらわれている。なんとなく不気味で、表紙が見えないよう、裏返しておいた。
 静真が夕飯の支度をする間、申し出て風呂場の掃除をさせてもらう。年代を感じさせるタイルや壁を、丁寧にぴかぴかに磨き上げて台所に戻ると、カレーのいい匂いが流れてきた。
「篤史」
 階段の下から、静真が呼びかける。二階はしんとしたまま、何の物音もしなかった。
「俺、呼んできましょうか」
「いいよ。たぶん、あとでひとりで食べるつもりなんだろう」
 いつもそうだよ、と言って、肩をすくめる。兄弟が多い紘人の家では、夕食時といったら一日の中でいちばん賑やかな時間だった。家にいる人はみんな一緒にごはんを食べる。テレビをつけて、その番組にああだこうだ言ったり、その日あったことを話したりする時間だった。たまに、ひとりで食事するような時は、ネルと一緒に食べて、ネルを相手にひとりで喋る。
「みんなで食べたほうがいいのになぁ」
 普段のそんな生活を思い浮かべて、つい、口に出してしまう。静真はそれを聞いて、そうだね、と、短く同意するだけだった。
 カレーはとても美味しかった。なすやズッキーニの夏野菜カレーだ。具は、ごろごろと大きめに切られた野菜と鶏肉で、肉に香ばしい味付けがされている。美味しくて、たくさんおかわりしてしまった。
「静真さん、料理、超じょうずなんですね」
 美味しいものを食べると、生きていてよかったと思い、幸せを感じる。ちゃぶ台で向かい合って食事をしながら、静真も嬉しそうに目を細めていた。

 二階には部屋がふたつ。紘人の借りている部屋と同じように、篤史が使っているのも同じ和室のようだった。模様入りの磨りガラスが入れられた扉から、室内に電気がつけられていることは分かる。閉ざされた扉の前に立って、そっと呼びかける。
「篤史」
 呼んでから、あっと思う。いきなり名前を呼び捨てにしてしまった。馴れ馴れしいと怒られるだろうか。
 中からは返事がない。寝てるのかな、と思い、扉を軽く叩く。すると、ややあって、ガラス越しに黒い影が動くのが見えた。
「なに」
 ほんのわずかだけ、ドアが開けられる。低い、ぶっきらぼうな声。
「何してるの?」
 同じ年の、男同士だ。せっかくなのだから、仲良くなりたかった。さっき、うおぬま商店で買ってきたお菓子を持ってきて、一緒に食べようと思っていた。
 細い戸の隙間から紘人を見ている篤史の目は、まるでさげすむような冷たいものだった。
「関係ないだろ」
 はやくあっち行けよ、と言いたそうな声だった。めげずに、顔をかたむけて、部屋の中を覗き込む。畳まれた布団と、床に積まれた本が見えた。
「本読んでるんだ? 俺も、さっき、矢佐先生のところで借りてきたんだよ、『蠅の王』っていう」
 最後まで言い終わるより先に、がしゃん、と派手な音をたてて扉が閉まる。はめこまれているガラスが衝撃でびりびりと震えた。
「だっせえ。中二かよ」
 中から、吐き捨てるような声が聞こえる。しばらくその場で立っていたけれど、また、しんと静まりかえって何の音も聞こえなくなってしまう。
「……あのさ、これ、よかったら食べてよ。ここに置いておくから」
 持ってきたお菓子を、扉の前に置いておく。予想はしていたけれど、返事はかえってこなかった。
 廊下を引き返して、部屋に戻ろうとする。静真は夕食後、ちょっと仕事があるから、と一階の部屋に籠もってしまっていた。おとなしく本でも読むか、と思いながら、なにげなく、窓から外を見る。
 暗い外の風景の中に、ふわりと、白いものが横切った。
(……あっ!)
 一瞬のことだった。けれど、紘人の目はその一瞬を見逃さなかった。
 紛れもない、会いたいと思う人の姿だった。白い衣が、夜の闇の中に浮かび上がるように目を引いた。
 気が付いたら、身をひるがえして駆けだしていた。あわてて階段をおりて、その勢いのまま靴をひっかけ、玄関を飛び出る。街灯のない夜の道に出て、きょろきょろとあたりを見回す。
 少し先に、それらしき白い影が見えた。
「待って!」
 声を上げ、あとを追いかけるために走る。不思議と、追いかけても追いかけても、影との距離が縮まらなかった。走って逃げているのか、と思いながらも、懸命にあとを追う。静真の家から離れると、あたりには明かりをともすものがもう何もない。真っ暗闇の中、ざわざわと風が鳴って道ばたの木を揺らす。
 道が交差している四つ辻にさしかかる。さっきはたぶん、ここを真っ直ぐ行って、診療所に行った。辻の真ん中で立ち止まって、先を見る。求めていた人影は消えていた。どこに行ってしまったのだろう。
 ふと、潮の香りを嗅ぐ。風が吹いてきたほうに顔を向けると、暗い中、開けた視界に海が見えた。ここを曲がれば、港に出られる道だ。
 暗い空と、暗い海。かすかに、寄せる波の音も聞こえる気がした。吸い寄せられるように、そちらに足を向ける。
「……あ……」
 ほんの数歩進んだ先で、紘人はまた、足を止めた。
 白い影。闇の中、白い花のように浮かび上がる衣の色に、目がくらみそうになる。いまは距離が近いから、浅黄色の袴のシルエットも、よく見えた。足元は、衣と同じ白色の足袋に、草履。
 港で見た、あの人だ。海の方に顔を向けて、紘人には背を向けている。
「こ、こんばんは」
 手を伸ばせばすぐに届きそうな距離に、思わず声が震える。
 その人は、ゆっくりと振り向いた。まるで紘人が追いついて、声をかけるのを待っていたかのようだった。
 暗さの中に、少しずつ目が慣れてきた。その目がつぶれそうに思えるほど、白く、澄んだ美しい面立ち。日のもとでなくても、息をのむほど美しい人だった。完璧なかたちの見本として生み出されたような唇が、わずかにほころぶ。笑った。
「俺、園井紘人っていいます。島の外から来て、いまは静真さんっていう人に泊めてもらってます」
 胸がぎゅうっと苦しくなる中、聞かれもしないことをひと息で喋る。知ってほしかった。この人に自分のことを知ってもらって、叶うなら、好きになってもらいたかった。
「あなたのお名前は?」
 あなた、なんて、実際に現実では使ったことのない言葉が自然と口をついて出る。敬わなければならない、と、直感のようなものがあった。気安く触れてはいけないような神々しい雰囲気に、地面に膝さえつきそうになる。
 紘人の言葉を聞いて、その美しい人はかすかに首をかしげただけだった。きれいな目が、少し陰りを帯びて見える。聞いてはいけないことを、聞いてしまったのだろうか。
「どこから来たんですか?」
 それでも知りたいという気持ちを抑えられず、また聞いてしまう。その人は、しばらくじっと紘人を見たあと、ふいに、彼方の方に指を向ける。示された方角に目を向けた。潮の香りを運ぶ、風の吹いてくる方向。
「……海?」
 呟いた紘人の声が聞こえたのか、きれいな人は、少しだけ目を細めた。笑うような仕草だったけれど、顔立ちがきれいすぎるせいか、悲しそうな、寂しげな表情のようにも見えてしまう。わけも知らず、胸が痛んだ。
「海から来たの?」
 まるで、人魚姫だ。ひとに告げたら笑われて馬鹿にされそうな思いを抱く。けれど、目の前の人の、どこか儚げな空気を言い表すには、これ以上ふさわしいものもない気がした。
「俺……」
 何を言おうとしたのか、自分でも気がさだかではなかった。けれどとにかく、何か言わなければならない、という気持ちに突き動かされ、何でもいいから言おうとした。
「何やってんだよ」
 それを、背後からの声が止める。
 ひっ、と驚いて、声のした方を振り返る。橙色の明かりが、腰の高さにひとつ浮いていた。その灯に照らされて、黒いひとつ目の模様が闇に浮かんでいる。提灯を持って、こちらを睨むように見てくる、痩せた眼鏡の男。
「……篤史……」
 思いがけない人物の登場に、呆然としてしまう。
「バタバタ走ってやかましいんだよ。おまけに、何かひとりでぶつぶつ言ってるし」
 驚いて、じっと顔を見てしまう紘人から目を背けるようにして、篤史は独り言のように続ける。
「大体、あいつから散々言われただろ。暗いとこ歩くんなら、これ持ってけって」
 これ、と提灯を掲げられる。すっかり、忘れてしまっていた。篤史は言いつけ通り、そこに火を入れて、明かりとして持って歩いている。これを持たないと、危ないのだと、言われていた。
 もしかしたら。
「……もしかして、俺のこと、心配してくれた?」
 篤史は紘人の姿を見つけて、これ以上どこかに行こうという気はないようだった。ばたんと拒絶するように派手に扉を閉めたあと、走って家を出て行った紘人を、心配になって追いかけて来てくれたのかもしれない。扉の前に置いておいたお菓子には、気付いてくれただろうか。
「は? 頭おかしいんじゃねえの。そんなわけないだろ」
「そっか」
 そう言うのなら、そういうことにしておこう、と、くすぐったい気持ちになる。神経質で口も悪く、付き合いにくそうな感じは否めないけれど、きっとそれほど悪いやつではないのだろう。
「それで、何やってたんだよおまえ、こんなとこでひとりで」
「ひとりじゃないよ、……あれ」
 篤史の登場に気を奪われて、あの人から意識がそれてしまった。慌てて振り返ると、もうそこには誰の姿もない。
「……いなくなっちゃった」
 どこかに隠れてしまったのか、それとも、島の人間しか知らないような抜け道があるのだろうか。
 残念に思いながらも、紘人は、篤史が現れるなり姿を消してしまった人が、自分の前では微笑んで話を聞いていてくれたことが嬉しかった。きっと、また会えるだろう。会いたいと、心から思った。
「変なやつ」
 そんな紘人を、不気味なものを見るように、篤史が眺めていた。帰るけど、と言われ、大人しく彼に続く。ななつめ様の文様入りの提灯が、夜道をほのかに照らす。
 明日は、神社を探そう。そうすれば、あの人のことが何か分かるかもしれない。
「……なあ、おまえ」
 思いをめぐらせていると、少し先を歩いている篤史が振り返らずに言ってくる。
「静真のこと、あんま、信用するなよ」
「なんで?」
 思いがけない言葉だった。あんなに親切で、料理の上手い人なのに、従兄弟からどうしてそんな風に言われるのだろうと、純粋に不思議だった。
「ほら、みんなそうやって、すーぐ騙されんだよ。あいつは外面だけはいいんだから」
「でも……」
「ふん。別に、おまえがどうなろうと知ったこっちゃないけど。……危ないやつなんだよ、あいつは」
 どうでもいいけど、とまた吐き捨てて、すたすたと大股で先に歩いて行ってしまう。
 待ってよ、とそのあとを追いかける。さっき、あのきれいな人を追っていた時は全く気にしていなかった辺りの暗闇が、ひとつ提灯の灯りがあるだけで、ずいぶんと暗い、恐ろしいもののように思えた。
 その暗がりの中から、何かにじっと、見つめられているような気さえした。


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