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ななつめちぎり
ひとつめ
5

 静真の言う通り、道はひたすらまっすぐ一本に伸びていた。
 島の中央、と言っていた通り、足を進めるにつれて、少しずつ建物の数が増えていく。もっとも、その多くは古びた家屋がほとんどで、静真たちの言っていたとおり、ひとの住んでいない空き家のようだった。中には、かつて商売をしていたらしい名残らしい看板がかかっているところもあった。今はどうなのか、と確認する気にもなれないほど、錆びついて色あせてしまった看板ばかりだった。
 蝉が鳴いている。強い太陽の日差しと一緒に、頭の上に降り注いできて、耳鳴りがしそうなほどだった。こんなにからりと晴れた炎天下のもとを、提灯を持って歩いていることが奇妙に思えてならなかった。
 あまりの暑さに、ふたりとも次第に無口になる。
 やがて、先を歩いていた静真が、ここだよ、と一軒の建物の前で立ち止まる。古びてはいるけれど、立派な家だった。これまで見てきた日本家屋とは違い、屋根も柱も洋風のつくりだ。診療所、とだけ書かれた木の札が、入り口に無造作に置かれている。
「お邪魔します、矢佐先生」
 静真が声をかけながら、建物の中をのぞきこむ。提灯を玄関に置いて中に入っていったので、紘人も同じようにする。
「診察中みたいだね」
 入ってすぐの小さな待合室には、革張りの椅子がぽつんと真ん中に置かれている。壁にはぐるりと大きな本棚が置かれていて、ぎっしりと本が詰め込まれていた。廊下の方にまで棚が続いている。紘人の知っている、一般の病院の待合室とは、随分様子が違う。まるで。
「……図書室みたいだ」
 病院にはつきものの消毒液の匂いもしない。どちらかというと、本がたくさんある場所に特有の、紙とインクの匂いだろうか。余計な音を本の中の紙が吸い取っているように、待合い室の中はしんと静まりかえっていた。遠くから、かすかに蝉の鳴き声が聞こえてくる。
 本の背表紙を眺めていく。特に並べ方に法則はないようで、新しそうな推理小説や古びた児童書が、雑多に詰めこまれていた。単行本と文庫本もばらばらに並んでいる。
「全部、矢佐先生の本だよ」
 隣に並んだ静真が、同じように書棚を見上げて教えてくれる。
「この島には、本屋も図書館もないから。そのかわりに、ここにある本は自由に借りられることになってる」
「そうなんですか」
 全部、という言葉に、感心する。ずいぶんと、読書家だ。それとも、島の人たちのことを思って、集めたものなのだろうか。
「俺も、何か借りていこうかな」
 泊めてもらう家には、テレビも無いし、携帯の電波も通じていない。携帯ゲーム機は持ってきているけれど、家にいる時と同じことをして過ごしてしまうのは、勿体ないような気もした。普段はどうしても、漫画やネットに手が伸びてしまうけれど、本を読むのは嫌いではなかった。
 棚の前を移動して本を見ていると、奥にある診察室の方から、声が聞こえてきた。
「そのほうがいいと思いますよ」
 さっき港で聞いた、矢佐先生の声だった。ゆっくりと、少し張り上げているような大きめの声だから、離れたところにいる紘人にもよく聞こえた。
「せめて、8月の間だけでも、向こうで過ごされるほうがいいと思います。ご家族も、安心でしょうし」
「でものお、先生。あれがあるし」
「ちゃんと、いない方の分はこちらで代行してお納めします。いい機会ですから、心臓に入れたステント、あちらの病院でそろそろ検査してもらいましょう。紹介状出しますから。お孫さん? ひ孫さんでしたっけ。来て欲しいって誘ってくれてるんでしょう」
「ありがたいことです。ゆーえふじぇー、っちゅーところに行こうって言われとります」
「銀行ですか。定期の解約でも迫られるかもしれないですね」
「まだ5歳なんですけんど。怖いのお……」
 会話の相手は、お年寄りのようだった。耳が少し聞こえにくいのか、本人も大きな声だ。
「じゃあ先生、まつりのことだけ、よろしく頼みますです」
「了解しました。窓口に、名簿と箱がありますので、お名前書いてお金入れておいてください」
 気になる単語に、耳が止まる。まつり。
 本来なら、受付の人がいるべきはずの窓口を見てみる。今日はたまたま、なのか、ずっとそうなのか、硝子で隔てられた事務室らしき部屋は無人だった。カウンターに、木の箱が置かれている。
 その箱にも、提灯と同じ目玉の絵が描かれていた。
「おやぁ、お若い人たち」
 診察が終わったのか、白髪のお年寄りが待合室に戻ってくる。こんにちは、と静真が丁寧に頭を下げて挨拶したので、紘人も真似をする。お年寄りはにこにこと笑って、ゆっくりしていきなさい、と言ってくれた。
 矢佐先生に言われた通り、お年寄りは箱にいくらか小銭を入れて、一緒に置いてあったらしい名簿に名前を記入していた。それが終わったタイミングを見計らって、尋ねてみる。
「あの、お祭りがあるんですか」
 祭りと聞くだけで、胸がワクワクしてくる。紘人は出店や、お神輿が町を練りあるくあの雰囲気が大好きだった。近所の神社でも、年に一度祭りがひらかれる。小さい頃は毎年、興奮のあまり熱が出た。寝ていなさいと布団に押し込められたのを、風呂場の窓から脱走することから、紘人の祭りはいつも始まった。
「たぶん、きみの想像するようなお祭りとは違うと思うよ」
 紘人の目の輝きに気付いたのか、静真が苦笑しながら指摘する。出店もないし、お神輿は何年か前に、かつぎ手が足りなくてやめてしまったのだと、お年寄りも教えてくれた。
「ななつめ様のお祭りやでの。あんまり、騒がしくにぎやかにするもんでもないで……」
「ななつめ様?」
 はじめて聞く言葉だった。様、というからには、神様だろうか。祭りはもともと、神様に感謝するものなのだと聞いたことがあった。
 教えてもらおう、と身を乗り出そうとする紘人に、お年寄りはふと、すっと、それまで浮かべていた笑みを引っ込めた。
「あんたらは男の子やで、大丈夫思うけんど。ななつめ様には、失礼のないようにせんとあかんよ」
「気をつけます」
 紘人の代わりに、静真が微笑んで、その言葉に頷く。満足そうに、お年寄りも数回頷いた。
 なんとなく、それ以上踏み込んで聞ける空気ではなかった。頭を下げて診療所を去っていくお年寄りを見送っていると、診察室から、矢佐先生が現れた。
「おう。静真くんか」
 着ている白衣はぴしっとしているのに、まるで、よれよれのコートを引っかけているように、疲れた雰囲気だった。患者さんと話している時は、まだ、お医者さんらしかった。ふう、とひとつ息をついて、白衣のポケットから煙草を取り出す。
「診療所は禁煙でしょう」
 からかうように静真が言う。それを聞いて、ああ、と思い出したように、煙草を戻す。
「枕をひとつ、お借りしてもいいですか。彼のぶんが、足りなくて」
 いいよ、とこともなげに頷いて、矢佐先生は廊下を奥の方へ進んでいく。紘人もそれを追おうとして、静真に止められた。
「ここで待ってて。ちょっと話もあるから」
 そういえば、お土産がある、とさっき言っていた。分かりました、とおとなしく頷く。
 ななつめ様、と言っていたもののことが気になった。神様がいるのは、神社だ。神社。白衣に袴の、神様に仕える格好をした、きれいな人。
 ……そこに行けば、あの人に会えるだろうか?
 あの、ほんとうにきれいな笑顔を思い出す。それだけで、胸がきゅんと切なく鳴った。本を選ぼう、と棚を見ていても、自然と、「あなたと彼が200%うまくいく恋の常識!」などと書かれているタイトルが目に入ってしまう。いろんな本がある。
 思わずその本を手にとってぱらぱらと中を見ていると、戻ってくるふたりの話し声が近づいてきた。慌てて、持っていた本を棚に戻す。
「はい、枕」
「ありがとうございます」
 静真から枕を受け取って、矢佐先生に頭を下げる。ふわふわとした、高級そうな手触りの枕だった。眠ったら、良い夢が見られそうだ。
「俺も、本を借りたいと思うんですけど。なにか、おすすめはありますか」
 ここの本すべての持ち主だという矢佐先生に尋ねる。そうだなぁ、と、無精髭が伸びた顎を指先でさすりながら、白衣のお医者さんは棚に目をめぐらせる。
「じゃあ、これ」
 しばらく考えたらしい間を挟んで、一冊の文庫本を差し出される。オレンジ色と黒の配色が印象的な表紙だった。
「『蠅の王』?」
「島に遊びにきた少年が読むのに相応しい本だよ。たぶん」
 外国の小説らしい。ありがとうございます、と受け取る。結構分厚い。
「がんばって読みます」
 はりきってそう告げる紘人に、別にがんばらんでもよろしい、と矢佐先生は笑った。笑っていても、疲れた顔に見えた。
「いまは祭りの時期だから、島も人間が少なくて、いろいろ不便なこともあるとは思う。困ったことがあったら、できるだけ相談に乗るから」
 けれど、疲れた顔をしながらも、親切に言ってくれる。
「お祭りなのにひとが少ないんですか?」
「ああ。昔は完全に女人禁制だったこともある。いまはそれほど厳しくは言ってないけど、やっぱりみんな自主的に島を離れることが多いな。そうして、月が変わっても戻ってこなかったりして」
 便利な暮らしに慣れてしまうと、島に戻ることがためらわれるのだという。なんとなく、分かるような気もした。ここは自然もあふれた、人も優しい、素敵な場所だとは思うけれど。
「女人禁制……、そういえば、さっきの人も、俺たちは男だから大丈夫、って言ってた」
「ななつめ様は女が嫌いなのさ」
 肩をすくめて矢佐先生が言う。隣で、何故か静真がおかしそうに笑った。
「きみみたいな、若くて可愛い男の子は大好きかもしれない。見つからないよう、気をつけなさい」
 それじゃあ、と、意味深なことを言い置いて、矢佐先生は診察室のほうへ戻っていった。
「買い物をして帰ろう、紘人くん」
 まるで何事もなかったように、静真が優しい声で言う。
「暗くならないうちにね」


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