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ななつめちぎり
ひとつめ
4

 あの家だよ、と、見えてきた建物を指さされる。ごくごく普通の、二階建ての日本家屋だ。
 静真の言っていた通り、港から歩いて5分ほどの距離だった。背の低い植え込みが、塀のようにぐるりと家の周りを囲んでいる。緑の草がぼうぼうに茂った庭だけ見ていると、あまり人の住んでいる雰囲気は感じられなかった。家屋も少し古びていて、窓枠のつくりなども、見ていて懐かしいような気持ちにさせられる。
「静真さんの家なんですか」
 都会的な、華やかなこの人の住まいとしては、予想外の建物だった。どうぞ、と紘人を中に招き入れて、静真は首を振る。
「もとは空き家だったのを、貸してもらってるんだ。時間があれば、庭にもちゃんと手を入れたいんだけど」
「あ……じゃあ俺、草むしりぐらいならできます」
 自分にも出来そうなことがあって、ほっとする。助かるよ、と静真も目を細めた。
「とりあえず、入って。ひと休みしよう」
 がらりと音を立てて、玄関の引き戸を開ける。鍵はかけられていなかった。
「ただいま」
 家の中に向かって、そう声をかける。家族がいる、と船で言っていたことを思い出す。玄関にはサンダルがひとり分、置いてあった。
 かえってくる声はない。しん、と静まりきった家の中に、静真が息を吐く。どうぞ、と言われて、おじゃましますと頭を下げる。
「部屋は、二階を使ってもらえるかな。布団はもうひと組あるけど、枕がないから、あとで矢佐先生か、村長さんのところにでも借りにいこう」
 この空き家を借りた時に、生活に必要なものも大体一緒に貸してもらったらしい。助け合いの精神だな、と、紘人は感心する。港で、わいわいと仲良さげに荷物を船から降ろしていた人たちの姿を思い出す。あまり人の住んでいないこの島で、そうやってみんなで助け合って生きているのだろう。その中に、あの、きれいな人もいるのだろうかと考えると、紘人もいますぐこの島の人間になりたくなった。
 靴を脱いで、上がらせてもらう。家の中は、きちんと人の手が入っているらしく、見た目ほど古びても痛んでもいなかった。埃っぽくもないし、廊下もぴかぴかに磨き上げられている。
「はい、どうぞ」
 台所と繋がっている畳敷きの部屋に案内されて、冷たい麦茶を出してもらう。ちゃぶ台と座布団が置かれた、居間として使われているらしい場所だった。きっとここで、食事をするのだろう。台所にも、冷蔵庫や炊飯器など、ふつうの家にあるようなものがひととおり揃っているように見えた。
「テレビはないんだ。映らないから」
 携帯のワンセグも、運が良ければたまに映る程度だという。そもそも、携帯自体も、なかなかつながらない。
「だから、電波が必要になったら診療所か、役場に行かないといけないけど、そこではネットも使えるから。あとで案内するよ」
 診療所、とはおそらく、矢佐先生のいる病院のことだろう。毎日、家に連絡を入れるように修次に言われていたことを思い出す。忘れないようにしないといけない。
 向かい合って座り、麦茶を飲む。静真が扇風機を付けてくれたおかげで、風が届く。朝から自転車を漕いで、船に揺られ、日差しを浴びっぱなしだった。ひさしぶりに涼しさを感じて、ほっと息をついた。
 そういえば、と思い出したことを静真に聞こうとした。
「静真さん、この島に、神社って……」
 あの人は、巫女さんのような格好をしていた。だからきっと、会えるのならば、神社かそれに関連する場所だろう。それを、教えてもらおうとした時だった。
 どん、と地響きのような音が響いて、家がかすかに揺れた。地震かな、と思って静真の顔を思わず見る。しょうがないな、とでもいいたげに、苦笑を浮かべていた。
「紹介するよ、紘人くん」
 どすどすと地響きが近づいてくる。かと思うと、ぬっ、と、大きな影が台所にあらわれた。地響きは足音だったらしい。まるでお相撲取りが来たかのような震動があったけれど、実際そこにいたのは、背の高い、痩せた少年だった。紘人よりもたぶん、頭半分くらい身長があるだろう。長めに伸びた前髪の隙間から、黒縁の眼鏡が見える。
 彼がおそらく、静真の言っていた従兄弟なのだろう。名前は、確か。
「篤史、何回も言ってるだろ。古い家なんだから、階段はもっとゆっくり降りろって」
 床が抜けるよ、と穏やかに言う静真に、篤史と呼ばれた従兄弟は何も返さなかった。眼鏡の奥の目が、じっと紘人を見ているのに気付く。見知らぬ人間が家に上がり込んでいるものだから、不審に思っているのだろう。そんな目だった。
「誰こいつ」
「園井紘人くん。今日からこの家に泊まることになったから、よろしく。篤史と同じ年だよ」
「お世話になります」
 篤史は明らかに、嫌そうな顔をした。それでも、めげずに頭を下げる。
「二階の、隣の部屋に寝てもらうから。仲良くしてね」
「はあ? あんた頭おかしいんじゃねぇの。誰だよこいつ、空いてる家なんて他にいくらでもあんだろ。なんでわざわざここに来るんだよ、その辺で勝手に寝ろ」
 ひっ、と思わず背筋が冷たくなる。ずいぶんと、とんがっている。最初に顔を見たときからなんとなくそんな気はしていたけれど、どうやら、少し、難しい相手のようだ。
 静真は慣れているのか、そんな態度にも平然としていた。
「忘れてるかもしれないけど、ここを借りてるのは俺だから。空いてる部屋があったから使ってもらえばいいと思ったんだよ。それにせっかくの休みだから、俺も誰かと楽しく過ごしたいしね」
「だったら東京から適当な女でもなんでも連れて来いっての。まさかこんなのが趣味なわけ? やばい奴だとは散々思ってたけど、本物の変態かよ」
「嫌なら篤史が他所に行けばいい。空いてる家は他にいくらでもあるよ」
 微笑んでそう言う静真を、篤史は無言で睨む。自分が来たことで、大変なことになってしまった。
「あの、よそに行くなら、俺が」
「紘人くんは俺のお客様だから。ああそうだ、ごめんね、篤史。頼まれてたやつだけど」
 立ち上がりかけた紘人を手で制して、涼しい顔で静真は続ける。
「彼とふたりで分けて食べちゃったよ。美味しかった」
「何やってんだよ! 買って来いって言っただろ」
「船が出る時間が遅れてね。保冷剤がもたなかったから」
 あの黄色い、有名なお菓子のことだろう。頼まれて買ってきた、と静真は言っていた。篤史に買ってきたものだったのだ。事情があったとはいえ、それを、貰ってしまったことを謝ろうとした。楽しみにしていたのだろう、きっと。
 けれど、紘人のそんな気持ちをはねつけるように、篤史は過激な言葉を吐き捨てた。
「死ね」
 そのまま、また、床を鳴らして行ってしまう。どすどすと音を立てて階段を上るのが聞こえた。
 静真は何事もなかったように、怖い怖い、と肩をすくめるだけだった。きっと、慣れているのだろう。その様子を見て思う。もしかして、いつも、ああなのだろうか。
「ごめんね、失礼なやつで」
「いえ、その……なんか、すいません。俺、大丈夫なんですか」
 紘人が隣の部屋に寝泊まりをすることは、どう見ても歓迎されていない。お菓子まで食べてしまったし。
「気にしないでくれると助かるよ。というより、俺がね、寂しいから。いてくれると嬉しいな」
「寂しい?」
「朝昼晩とあの調子だから」
「ああ……」
 その気持ちは、なんとなく想像できた。どうやら、特別機嫌が悪くて、あんな風に攻撃的だったわけではないらしい。静真が赤の他人である紘人を招き入れてくれたのも、親切心以上に、そういった理由があるのかもしれない。確かに、ごはんを食べたり、食後にのんびりしたり、という時間を楽しく過ごせそうな雰囲気ではなかった。修次と電話で会話していた時、静真は、従兄弟と仲良くしてもらえれば、とそんな風に言っていた。仲良く出来るだろうか。むずかしい気がした。
「紘人くんも、あんな時期があったのかな。想像できないけど」
 反抗期かな、という静真に、紘人も首を捻るしかなかった。周りの友達の話などを思い出すと、似たようなことは珍しくない気もする。けれど、紘人自身にはあまり縁のないことだった。
「俺はほら、5メートル飛んでるから……」
 そもそも、他人に向かって、あんな風にきつい言葉を投げつけるような、そんな気持ちになることがほとんどない。呑気な性格のせいか、幼い頃あたまを打ったことが影響しているのか、原因は分からないけれど。
「それにうちは、兄ちゃんたちがいるから。年上の人にあんな口のきき方したら、ビターンって殴られちゃうと思う」
 想像しただけでおそろしい。静真は、ビターンね、と繰り返して笑った。
「そういえば、紘人くん、結局パン食べてなかったね」
「あ」
 静真に言われて初めて、そのことを思い出す。朝食がまだで、昼食がわりにそのパンを食べようとして、結局、食べるのを忘れてしまった。朝から食べたものといえば、あの、篤史が頼んでいたはずのお菓子だけだ。
 今までまったく平気だったはずなのに、意識した途端、急に空腹を感じた。感じると同時に、ものすごい音量でお腹が鳴ってしまった。
「す、すいません」
 パン食べます、と、慌ててリュックサックの中を漁る。適当に押し込んでいたせいで、取り出した食パンは、さっきよりもずっと形が歪んでしまっていた。
「そのパン、すぐに食べないといけないやつ?」
 静真に聞かれて、袋を見る。賞味期限の日付は、明後日になっていた。それを伝えると、それじゃあ、と、静真は台所を指さす。
「俺も昼、まだ食べてないから。よかったら、一緒に食べようか」
 簡単なものしか出来ないけれど、と申し訳なさそうに付け加えられる。とんでもない、と紘人は首を振る。食パンは朝ご飯に取っておけばいい。お世話になるせめてものお礼に、静真たちにも食べてもらおう。
 台所に向かった静真を手伝い、昼食の準備をする。昼ご飯には少し遅い時間だったので、軽めに、ということで、そうめんを茹でる。夏の風物詩だ。紘人の家でよく食卓に並ぶものとは違って、静真が茹でた麺は白以外にも緑色や紅色などの、色とりどりだった。大皿によそったそうめんを、ふたりでちゃぶ台で向かい合って食べる。冷たいおつゆに浮かべた薬味が美味しかった。しばらく、夢中で食べ続けて、あっという間に麺がなくなってしまう。
「美味しそうに食べるね」
 静真に目を細めて笑われる。はじめて会ったひとの前で、空腹のあまり、がっつきすぎてしまった自分に気付いて、紘人は顔を赤くした。
「お腹空いてたから……すいません」
「謝らなくていいよ。作った甲斐があって嬉しいってことだし。夜はもうちょっとちゃんとしたものを作るから。食べられないものとか、アレルギーは?」
「ないです。何でも食べます」
「大変よろしい」
 作り甲斐があるなぁ、と独り言のように口にしながら、静真は立ち上がる。きっと、普段から料理をすることに慣れているのだろう。あっという間に、鍋や皿を洗ってきれいにしてしまう。
「じゃあ、暗くならないうちに、枕を借りにいこうか。ついでに、買い物の出来る店があるから、そこにも寄っていこう」
「はい」
 財布と携帯をポケットに入れて、紘人も立ち上がる。先に外に出た紘人に、ちょっと待って、と静真が中から声をかけてくる。大人しく待っていると、静真は思わぬものをふたつ、持って出てきた。
「念のため、持っていこう。長居しないとも限らないしね」
 静真が手にしているのは、紘人の顔ぐらいの大きさの提灯だった。それがふたつ。いまは明るいから、当然のように火は入れられていない。
「これは?」
 明かりのかわり、だろうか。確かに、港からこの家まで歩いた道のりには、街灯らしきものもほとんど見かけなかった。
 不思議そうな顔をしている紘人に、静真はひとつ、提灯を渡す。
「夜になると危ないから」
 提灯の外側に貼られた紙に、見たこともないような模様が描かれていた。祭の時に、ここに「祭」と書かれたものが飾られているのを見たことがある。
 いま、手に持っている提灯には、丸い、不思議な絵が描かれていた。
「この道を真っ直ぐ行くと、島の中央。とりあえず、先に、診療所に行こうか」
 はい、と頷いて、静真と一緒に歩き出す。もう一度、渡された提灯を見てみる。この絵柄はなんだろう、と考える。分からないけれど、見ていると、少しぞっとするような気持ちになった。そんな気持ちになってから、すぐに、その理由に気付く。そこに描かれているのが、大きな目玉のように見えたからだ。
「……暗くなったら、危ないんですか?」
「危ないらしいよ。いろんな意味でね」
 前を向いたまま、静真は笑って言う。
 目玉が描かれた提灯。まるでそれは、大きなひとつ目を持つ化け物のように見えた。


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