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= サンキュー欲求 =

 おれの彼氏はエロい。
 エロいと言ったらエロいのだ。
 
 頭のなかにはそのことしかない。
 こちらに隙があればいつでも、隙がないときでもいつでも、とにかく触ってきたり、触らせたがったり、
 それ以上をしでかそうとする。
 これではこちらの身体がついていかない。

 親御さんもさぞかし嘆くだろう。
 おれはあいつの携帯の番号を、「大王」という名前で登録している。
 欲求不満のエロ大王だ。

 そんな大王は安い中古車に乗っている。
 大王はエロ的な意味で王族並みというだけであり、暮らしぶりやものの好みは、いたって質素である。
 だから乗る車も、庶民の車だ。
 しかしひとつだけ、意図的に選んだわけではないのに、すばらしい特徴のある
 スーパーカーであった。特徴というのは不適切かもしれない。
 それは車そのものではなく、ナンバープレートの数字だからだ。
 
 「39−49」である。
 サンキュー欲求である。

 大王はこの数字が非常にお気に入りだ。『欲求号』と愛称まで付けて
 休みの日には磨いてやったり、可愛がってやっている。
 自分で愛車に欲求の文字を冠するということは、多少は奴にもエロ大王の自覚があるのかもしれない。 

 おれはと言えば、学校に提出しなければならない課題漬けで、
 なおかつ大王のいけない遊びに付き合ったりして、非常に疲れる毎日であった。

 そんな日々を送っていた。

 ある日、帰り道に自転車を漕いでいて、町外れのラブホテル「新宿」の前を通った。
 地方の田んぼの真ん中にある癖に、生意気にハッテン場を名乗るそのホテルは
 大王のお気に入りの場所だ。いまどき回るベッドがある上、鏡天井まであるからだ。
 何度も、利用した。

 まだ陽も当分沈まない時間だというのに、駐車場に一台車が停まっていた。
 こんな時間から、しかもこんな往来から丸見えなところにわざわざ駐車しやがって。
 これまたとんだエロ一族がいたものだと思って、鼻で笑うようなつもりで
 その車のご面相を拝んでやるつもりだった。
 どこかで見たような車だと思ったら、大王の乗っているものと、同じ種類だった。
 まさかと思いながらも、しっかり、ナンバープレートを確認してしまった。

 サンキューヨッキュー以外に語呂合わせしようのない数字だった。

 おれの自転車は、ママチャリだというのに
 競輪にだって出場出来そうなスピードが出せるのだということを知った。
 ひたすら家に向けてペダルを漕ぎ続けると、それと同じだけの早さで思考も回転した。
 
 (そういえば、もう、三日もしてない)
 (ちがう、してないんじゃない、されてない)
 (あんなに、毎日、しかも一度に何回も)
 (こっちがいくら止めろよって言っても、全然きかなかったくせに)
 (もう、三日も)

 さんざん断ったからだ。
 何度も、乗り気じゃないって、言葉でも態度でもそう伝えた。
 大王はそんなことお構いなしだった。
 乗り気じゃなくったって乗るのはおれの方だからいいんだよとか言って
 あの馬鹿はほんとうにエロ大王の大馬鹿だ。
 頭の中にはきっと、そういうことしかないんだろう。
 だから、誰でもいいんだ。

 死んだお祖母ちゃんが、よく言っていた。
 人間素直が一番だと。
 嘘をついたら、必ず、罰が当たるのだと。
 だったらこれは、罰だ。
 ずっと素直にならずに、嫌だもんねと子どものように繰り返していた、
 意地っ張りでいいところのないこの自分への、罰だ。

 目の縁に涙を滲ませながらマンションに戻る。
 自転車を止めて、駐車場に足を運ぶと、大王はもう帰っているようで、
 先程あの「新宿」に停められていたのと、間違うことなき同じ車が静かに所定の場所にあった。

 思わずその前に座り込んで、まるで語り合うかのように欲求号に向かい合いになる。

 なあ、あいつはおれに飽きたのかい。
 素直じゃないから、もう嫌になったのかい。
 それはそうだよな、ずっと、嫌だとか、止めろ馬鹿とかしか言ってなかったんだから。
 そのあと散々いいように楽しんだって、一度も、言葉にしては、そういうの、伝えなかったもんな。

 サンキュー欲求の悲しい数字が目に入った。
 何がサンキューだ。思わず、数字に八つ当たりする。
 鞄を探る。筆箱をひっくり返して、極太マッキーを鷲づかみにした。

 何がサンキューか、この、浮気者が!

 こんな番号書き換えてやる。3を8にしてやる。
 89−49だ。八苦四苦だ、ざまあみろ。
 今日からおまえは欲求号じゃない。事故る号だ。

 声を上げて笑おうとした。
 でも口を開いても、出てきたものは笑い声にならなかった。
 自分の書き加えたへろへろの線が、みっともなくて情けなかった。
 何をやっているのだろうと、空しくなってしまった。
 それでも、あははと声にすることで、無理矢理笑おうとした、そんなおれを照らす白い光があった。

 「そこの君! 何をして居るんだ」

 黒マジックを手にした傷心のおれに声をかけてきたのは、
 マンションの駐車場に不審者がいるとの通報を受けて駆けつけてきた
 懐中電灯を持った、交番のお巡りさんだった。
 

 「なにやってんだよ、おまえ」

 大王の第一声は、それだった。
 無視して、目も合わさないように顔も上げない。
 お巡りさんにはほんとうのことは言わなかった。
 友達と喧嘩をして、その復讐をしたのだとそう言った。
 呆れるような顔をされて、「仲直りしなさい」と大王を呼ぶように言われた。
 身元の確認だとか、おれの話がほんとうなのかどうかとか、たぶん、調書を取る必要があるからだろう。

 「帰っても、いないし。
  電話もつながらないし、どこ行ったんだろって心配しただろ」

 べつに、と低く呟いて、そっけなく答える。
 心配でもなんでもすればいいんだ。どうせおれのことなんて、もう、どうでもよくなってるくせに。
 ツンとして無視し続ける。

 大王は、欲求号改め事故る号で迎えに来ていた。
 ナンバープレートは書き換えられたままだったが、家に帰ったら元に戻します、とお巡りさんに約束して、
 そのまま帰らせてもらった。
 「仲良くしなさい」と、ほとほと呆れ果てた声で言われてしまった。

 帰り道、大王はまるで何事もなかったかのように、
 いつものようにおれに話しかけてきた。

 「きょう、鍋しようぜ。鶏だ、水炊きだ」

 なにが水炊きだ。この浮気者。
 その、いつもと変わらぬ様子が、やけにカンに触った。
 新宿でお楽しみだったくせに、と、出来るだけ冷たく聞こえるように言った。
 その言葉で突き刺して、痛いと泣かしてやりたかった。
 
 「おう、楽しんだぞ。ひとりでな」

 しかし返ってきたのは、思わず、こちらがアイタタと言いたくなるような言葉だった。
 ひとりで楽しんだ? わざわざ金を払って、ラブホテル新宿で?
 嘘を付かれているのではないかとも思ったが、大王はあまりにケロリとしている。
 この男が嘘を言うとしたら、こんなに堂々とはしていないはずだ。
 大胆で自分に正直であるから、嘘をつくという行為がド下手だからだ。
 だが、嘘でないということはイコール、ほんとうのことを言っているということになる。

 アホか、この男は。
 心からそう思って、咄嗟に言葉が出てこなかった。

 「だって、おまえ、なんか毎日大変そうだったし。こないだ、学校で倒れただろ。
  おれはアホだから、そういうの、気付かなくて自分の好き勝手ばっかりやってたし」

 大王が、窓を少しだけ開けて、煙草の煙を外に流す。
 やがて、どう言ったらいいのか分からないで苛々しているように、煙草の火を揉み消した。

 「でも、おれはおまえのこと、すげぇ可愛いって思うから。
 だから、駄目なんだよ、顔見ると。可愛いって思って、ダメなんだ」

 話が繋がるようで、繋がらない。
 大王らしからぬ非常に真面目な、しかし同時に、非常に大王らしい素直な声だった。

 「だから、家帰っておまえの顔見ると、触りたくなるから。
  ……その前に、ちょっと、処理してから帰るっつうか」

 今度こそ、心底呆れた。なんという思考回路か。

 「だって、ほら、新宿だったらさ。
  おまえと一緒に何回も行ってるから、思い出もいっぱいあるしさ」

 そこまで言って、さすがに自分でも恥ずかしく思われたのか、
 大王はまた、忙しなげに次の煙草に火を付ける。

 顔を見たら触りたくなる、というその気持ちが、なんだかよく分かってしまう気がした。

 「なあ、ずっと前から、聞きたかったんだけど」

 欲求号は流れるように、日の沈みかけた田舎道を走っていく。

 「なんでおまえ、ケータイに、おれの番号『大王』って登録してんの」

 それに聞こえていないふりをしながら、窓の外を流れる景色に目をやる。
 帰ったら、鍋だ。

 けれどもまずはその前に、8を3に直してやらねば。


 



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